これは私が一九八二年から八八年まで、ワシントン州シアトルに留学、及びイギリス滞在、ヨーロッパ旅行などの体験記です。これを書いたきっかけは、私が勤務していた初声高校で、司書の林田先生から『遠近(とおちか)先生の留学体験記』を学校の広報に載せたいという打診から始まりました。それから教員時代の四年間、コツコツ書き上げた次第です。こういう形を取ったいくつかの理由は、まず、中学生〜大学生及び二十五歳までのいろいろな人に他人の人生(ここでは私)をみて欲しい、あるいはそれを知る事が必要だと思ったからです。

今の若い人たちは個人主義という言葉の下で、結局自分自身の殻から抜け出す事が出来ないでいると思います。ですから人の経験、体験を覗くという事で今の自分を省みる一つの手段になればいいわけで、『他人の体験記』を覗く事は悪くないと思うのです。この体験記を通して私を覗いてみて、いろいろ感じて、意見を持って下さい。

加えて、外国(アメリカ合衆国)から見た日本、日本人を、私の見聞を通して伝えたいと思います。日本の常識、世界の非常識、日本人にとっての『国際性とは何か』『英語教育』など、いろいろな問題を私なりに提起しているつもりです。また、私は大学の国際学者でも文化論学者でもありませんから『素人の立場』でもの事を語っています。そういう『素人の立場』で語るというのもいいのではないでしょうか。

最後に若い時の意味のないような行動、ちょっとしたエッチ話、男女の話など、私としては、今、子どもたちに勉強を教えている立場上、少し恥ずかしいのですが、こういう体験記を通して生徒とコミニュケーションが出来れば面白いと思います。塾の父兄におきましては、私の二十〜二十六歳当時の体験なので、寛容な心で読んで頂ければ有り難いです。

そして、この体験記が子どもたちの何らかの励みになる事が出来れば、これ以上の喜びはありません。今後二週間に一回発行予定です。原稿は117回分ありますから約10年で完結予定です。読んで感想をお持ちになった方はメイル・ホームページ掲示板・手紙などで投稿して下さい。宜しくお願いします。期待して待っています。

第一章 英語学校
アメリカを選んだ理由
私が、親を一年間だけと説得、当時通っていた大学を休学して、成田からアメリカのワシントン州シアトルへ飛んだのは、一九八二年三月十六日のことであった。アメリカの第一印象だが、とにかく「でかい」であった。道の幅や車の大きさ、また、人の大きさなどである。とにかくすべてが日本より大きいと感じた。

ところでアメリカを選んだ理由だが、日本の大学一年の時にスタインベックの『怒りの葡萄』を読んだのと、英会話の先生がアメリカ人で授業中にアメリカの事をいろいろ話してくれ、それ以来、アメリカという国に興味を持つようになったからだ。

日本で、高校二年の後半から、受験のため予備校に通った。それなりに勉強はした。そして合格通知を貰い、喜んだ。現役で大学に入学出来た。しかし、大学入学と同時に、大学というものに大きく失望した。大学は遊びであった。まともに勉強している学生を見つけるのが難しかった。

私はもっと英語に磨きをかけ、喋られるようになりたかった。でもその様な授業は一、二年ではほとんどないのである。専門と関係のない教養課程を学ばなければならず、数学や物理など、高校でいやいや勉強した授業をまた取るはめになった。このため、大学に疑問を持つようになった。もっと自由に勉強できる場だ、と思っていたからである。それにくじけず、マイ ペースで勉強をした。でも全く面白くなかった。

そこで二年次の終りに、親にアメリカに行かせてくれと頼んだ。親はびっくりしていたが、私の決心の堅さをみて、一年という約束で許してくれた。現地には一人の知り合いもいるわけではなかったが、英語学校の手続きだけは済ませてあったので、シアトルに着くと、住所を頼りにバスに乗り込み、学校へ直行した。そして、その英語学校に入学することにした。

ところが、学校に入学してびっくりさせられたことがある。それは、日本人が多かった事だ。アメリカに来た早々、日本語を話すとは思ってもみなかった。その学校はまるで日本人専用のようだった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)


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