大学で世界史のクラスの時、先生が世界地図を広げた。日本人の私がいることもあり、「日本はどこかな」と学生に聞いた。すると、二十五人中四人しか正解ではなく、残り二十一人のうちの三人は、日本は中国の半島だと思っていたらしい。さすがにこう答えた生徒に先生は「もっと勉強しろ」苦言を呈していた。大学生でもこのような実態であるから、高校生が小学生のような質問をしても無理はないなと後で納得した。

口出ししない教員
聴講した三週間はあっという間に過ぎた。この三週間の収穫だが、まず教員の姿勢を見てみよう。帰国後、私は高校の教員を経験したので、日本とアメリカの教員の姿を比較しながら記してみたい。

まずアメリカの教員は、生徒の行動についてほとんど口を出さない。成績が下がっても、生徒が遅刻をしようが、担任が電話するなどということはしない。個人の責任であるので、教員は口を出さない。教員が口を挟んでその生徒がより悪くなったら、親などから訴えられかねないというのである。アメリカは裁判好きの国だから何かあったらすぐ裁判。「人と出会いがしらにぶつかっても、絶対に自分からは謝るな」と友達に忠告されたことがあった。後で裁判にでもなると、不利だからである。

それにアメリカは担任制を取っておらず(小学校は取っている)、担任の代わりにアドバイザーという人がいて、その人が個人の成績を総合的にまとめているだけ。日本のように担任の先生との会話はほとんどない。そのアドバイザーと話をする時も予約(英語でアポイントメント)を取り、二日後ぐらいに出向くことになる。日本と違い、アメリカの先生はかなり事務的のように私には思えた。生徒の質問も授業以外には受つけないという先生が多いらしい。だから生徒は必ず授業中に質問をする。そして、一生懸命勉強しても、成績が悪ければ、次の学期にまた同じクラスを取りなさい、と先生に言われるだけである。

アメリカの先生は社会的地位や給料があまりにも低過ぎるので、三時三十分になるとほとんどの先生が帰ってしまう。他に仕事を持っている先生が多いからである。アメリカの教育界では、遅刻の多い生徒の指導、成績の悪い生徒の指導などという、「指導」という言葉は使われていないようだ。

教員とクラブ活動
教員は、クラブ活動は一切やらず、個々の部がそれぞれ専門家を雇う。専門家は大会成績などによって給料が違ってくるらしい。また驚いたことに、日本とは大きく違い、特定のクラブ活動をやりたい生徒が、全てその部に所属出来るというわけではなく、しっかりしたテストを受け、合格後初めて部員となるのである。だからバスケットは部員がたった十二人とか、野球は二十二人といった具合である。このようにそれぞれのクラブが優秀な生徒を厳選し、試合を繰り返すわけだから、アメリカがスポーツ大国になったのは当然だろう。

とくに人気のあるバスケットやアメリカンフットボール部への入部は、倍率が高く厳しいらしい。その難関を突破し部員になり、大会で優勝でもしたら、大学に入学でき、授業料なしで生活費も面倒を見てもらい、卒業出来るのである。アメリカの大学にはそのような生徒を入学させる枠組みが、制度としてしっかり確立されている。

英語を話し人格が変わる
話が突然変わるが、ここで私の一つの経験を紹介する。アメリカ滞在四年目ぐらいに、自分の人格が変わっていることに気づいた。もしかしたら考え過ぎかも知れないが、今考えても確かにそうなのである。

ある日、二人のアメリカ人の友達とディスコに行った。最初私は誘いをことわ断ったが、強引に連れて行かれた。そして「アメリカのディスコは、男同士で行っても必ず女の子を誘いカップルになって踊らなくてはならない。なぜなら、もしわれわれのように男同士で飲んでいると、100パーセントホモだと思われるからだ」と言われた。アメリカならではのことである。そう言って、友達二人は女を探し回った。三十分ほどすると、二人の女性を見つけてきた。一人は凄い美人で、もう一人は凄いデブ。デブをパートナーにした友人は「俺はデブが好きなんだ」と後で言っていた。「たで食う虫も好きずき」という言葉があるように、世の中のバランスが保たれているんだなと思った。

それはさておき、三十分しても一人でいる私を見て、彼ら彼女らは、長い時間一人でいると変な人だと思われ、ボーイに追い出されるぞと脅かした。「えっ」と思ったが、正直言って今までナンパしたことがないのでどうしていいか分からなかった。すると、友達のパートナーの女性が、「もう一人連れがいるのでその人とではどう」と聞く。
      (つづく・感想文をお寄せ下さい)