私の通っていた学校の近くにフリースクール(普通の一軒家)があった。私は興味を覚え、許可を得て覗いて見ると、十数人の生徒達が家のあちこちで勉強していた。生徒層は小学一年生から高校三年生までだった。勉強のシステムは個別指導で、各自が時間割を作り、それを実行していく。それを先生がサポートするわけである。先生自身、勉強で分からないことが多くあるらしく(特に高校生の勉強)、「一緒に勉強しているのです」と笑いながら話してくれた。生徒になぜフリースクールで勉強しているのか尋ねると、一番多かった理由は学校で「いじめ」を受けたからだった。

二番目は先生との対立。つまり先生が嫌いだということ。三番目は学力面での遅れ。私はここで初めて「LD児」(学習障害児と訳す)という言葉を耳にした。その子を見ても全く問題なさそうに見える。話し方も全く普通だ。何が問題なのかと先生に聞いたら「記憶力が問題なのです」とのことだった。先生はその子のことを「 SLOW LEARNER 」( 直訳すると物覚えの悪い子)と私に説明してくれた。

このLD児は、当時、アメリカの学校の一クラスに一〜二名ほどはいる、と言うことだった。また、逆のタイプの「QUICK LEARNER」(物覚えの早い子)も来ていた。高校生だった。なぜここに来ているのかと尋ねると、「先生が嫌いで、しかも勉強が簡単過ぎて面白くなかったから」と答え、自分で勉強した方がベターだから、とつけ加えた。そして彼は二年後に、アメリカの名門校の一つであるスタンフォード大学に入学した。

四番目の理由は、集団になじめないというものだ。様々の理由があるが、これらの問題は今、日本の教育がかか抱えているものと全く違っていない。ちなみに一九七○年代後半ごろにアメリカ、カナダは三十人学級だった。それが二十人学級となり、アメリカで、私の知人の子供が通っている小学校は十八人学級だった。しかし、アメリカの教育がよくなっているとは、私の知る限りではあまりない。勿論、成果をあげている学校もあるが、少人数の学級になったからといって、どの学校もよくなったとは言えない。

私はこのフリースクールで素晴らしいと思った点は、一人一人が自分の個性にあった学習をしているということであった。しょせん所詮、数十人の生徒が一緒に、同じ内容の学習を、同じほちょう歩調で進むということ自体無理がある。能力の差や興味の違いは十人十色だからである。今の学校だと成績のいい生徒も悪い生徒も一緒くた。だから私は、どちらも不幸だと思う。

現在、日本ではこれまで支配してきた価値観を改める時期にきている、と私は痛感している。一つの例だが、日本の会社でも終身雇用という価値観が崩れ始めている。そして次の、新しい価値観や原理を探そうとしている。戦前は「富国強兵」、戦後は「富国強商」という原理、価値観があったが、二十一世紀はどんなスローガンの価値観が生まれてくるのだろうか。私は二十一世紀には個人が個性を発揮し、生きていく時代が来ると予想している。

これまで、個人が個性を磨くということに関しては程遠い学校教育だった。日本は今まで、集団としての意志決定や行動が多過ぎて、個人として成熟する機会があまりにもなさ過ぎた。内申書を気にし、高校のランクを気にしながら中学生活を送っていて、個性が育つかということに私は大きな疑問を持っている。だから私は、アメリカで見聞したフリースクールは、現代の学校教育改革への挑戦でもある、と考えている。

私のフリースクール
そこで私もフリースクールを始めたいと考えるようになった。ここで、私が考えているフリースクールとはどういうものであるか、簡単に紹介しよう。

教育目標:個性ある子供を育てること。(自力で学習でき、自分の考えを伸ばし、創造的思考を展開できる人になること)

授業内容:すべての学習内容は生徒が決める。私はそれをサポートする。

学校との関わり:学校長、担任、教育委員会との連絡を密し、生徒の不利にならないようにする。

対象生徒:学校不適応、学力不振児など全ての生徒を含む。

授業時間:月曜日から金曜日の午前八時五○〜午後三時まで。休みは公立学校とほぼ同じ。

対象学年:小学一年から中学三年。

費  用:一ヵ月六万円。

学  期:一学期=四月十日〜七月十五日まで。二学期=九月一日〜十二月二十五日まで。三学期=一月十日〜三月二十日まで。

サマーキャンプ、スキー実習など体験実習あり。費用は別途。 (つづく・感想文をお寄せ下さい