まいったなあと思いながら、また小銭を入れた。今度は違う取っ手を引っ張った。すると今度は何の反応もしない。少し頭にきた私は、両手で販売機の両端をつかみ、思いっきり揺り動かした。すると何とガム、チョコレートバー、スナックがガサッと出できた。それを偶然、駅員に見つかってしまい、事務所まで連れて行かれ、上司の人と三十分ほど話をした。事情はすぐに理解して貰えたので何も問題はなかったが、多分ガサッと出できた商品は、前にお金を入れても出て来なかった人の分ではないかと思った。

財布を置き忘れる
イギリスの生活も終わりに近づき、荷物をまとめ日本に送ろうと郵便局に出かけた。たくさんあったので、手続きに一時間ほど要した。やっと終わり、郵便局を出て二、三分したところで、自分の財布がないことに気づいた。もう猛ダッシュで郵便局に戻り、荷物を送る手続きをしてくれた人を探し、財布を見なかったかと聞いた。すると返事は「知らない」のあっけない一言であった。置き忘れた私が馬鹿だと言わんばかり。そしてその事務員はどこかへ行ってしまった。そばでわれわれのやりとりを聞いていた他の事務員が「おそらく戻っては来ないだろうが、あなた貴方の名前と電話番号を教えて下さい」と気の毒そうに言った。財布には現金で二十ボンドぐらいしか入っていなかったが、残念なのはワシントン州のIDカードが入っていたことである。

バスの故障で災難
ヨークへ向かう途中の出来事であった。ヨークはローマ人が建てた町で、イギリスではとても歴史を感じさせる町の一つである。またヨークミンスター寺院は、十三世紀の初めから二百五十年の歳月をかけ、一四七二年に完成したイギリス最大のゴッシク建築である。高い天井、白く太い柱、輝くステンドグラスなど、中に入ると神々しさを感ぜずにはいられない教会の一つである。

ヨークの説明はこれくらいにして、先にもふれたがビクトリア・コーチ・ステーション(長距離バスの出発場所。イギリスの各地やスコットランド、ウエールズにも行ける)からバスに乗り込んだ。ヨークまでは五時間ぐらいだったと記憶している。はっきり覚えているが、ヨーク到着予定は午後九時五分であった。私はバスの中でうたた寝をしていた。目を覚ますと、バスは止まっており、半分以上の乗客がバスから降りている。私は、もう到着したのかなと思って、そばの人に尋ねると、バスの故障だった。時計を見るとすでに午後の八時を回っていた。すぐバスの修理が済んだとしても、ヨークに着くのは十二時。しかも修理のめどがたっていない。

結局修理は無理と判断した運転手は、他のバスに来て貰うように頼んだ。そのバスがどこから来るのか尋ねると、彼は「勿論ビクトリア・コーチ・ステーションからだ」と答え「後二時間はかかるだろうな」と平然とした口振り。私はヨークに着いてから宿を探すつもりでいた。このまま出発出来てもヨーク到着は真夜中の二時半。どうしたらいいかと考えたが、らちがあかなかった。そばにいる人に相談しても結局だめだった。

1時間ほどして私の頭にあることがよぎった。私はいつも「地球の歩き方」という本を持っていて、その中に宿の案内や紹介の部分がある。そこにきっと宿の電話番号が載っていているはずだと思った。私は、鞄から本を取り出し、期待と不安でヨークのページを開いた。

そこにはホテルが六つほど紹介してあり、電話番号も載っていた。よかった、と心の中でガッツポーズを取り、バスを降り、電話を探したが、家らしきものは一切なく、光も全くなかった。周りは畑だけだった。運転手にこの近くに電話がないか聞くと、「三十分前に通過した場所にあった」と素っけ気ない返事。「それならどうやってバスが呼べたんだ」と聞いた。すると、「ちょっと前に通った車に電話してもらうように頼んだ」という返事だった。希望が一瞬にして消え、私は肩を落とし、バスに戻った。

 やっと別のバスがやって来て、そのバスに乗り込んだ。ヨークに着いたのは午前三時十五分だった。私はてっきりそのバスはヨーク止まりだと思っていたので、ヨークに着いたら夜明けまでバスの中で過ごさせて貰おうと考えていた。ところがバスの終点はヨークではなかった。その上、ヨークでは、道端に降ろされた。バスステーションがあれば、そこで休めると思ったのだが、私の目論見はことごとく裏目に出てしまった。

騎馬警官にどっきり
真夜中の三時十五分にヨークで降ろされ、右も左も分からず、途方にくれた。泊まれる宿はないかと歩き回った。日の出まで後三時間ぐらい。(つづく・感想文をお寄せ下さい)