そうこうしているうちに、大きな教会が目に入り、教会を一周してみた。これがヨークミンスター寺院だった。誰もいない教会を見詰めていると、何か恐怖感を覚えた。この教会の中でも多くの人が殺されたんだろうなと想像すると、二十分もそこにいることが出来ず、明るい方へと足を運んだ。しかし、明るい方といっても日本と比べると全く明るくなかった。歩き回って次に出くわしたのは、町の三分の二を囲っているCITY・WALL(城壁)であった。この城壁も夜見ると不気味であった。

人っ子一人いなかった。早く人に会いたいと強く思った。中世に迷い込んだような気持ちになり、お化け屋敷より数倍は怖かった。極めつけは、何か音がしたので耳を澄ますと、馬のひずめのような音が近づいて来る。まさか馬のわけがないと思った。ところが警察官が馬に乗ってパトローしていたのである。彼は私を見たが、何も言わずに行ってしまった。次に会ったのは中世から抜け出てきたような、かなり年をとったおばあさんで、花を背負っていた。現代人らしき人には会えず、不安であった。

これを読んでいるみんなは、何馬鹿なことを言っていると思うかも知れないが、それだけ町全体が昔のままだった。六時ごろになってやっと四十歳ぐらいの女性がジョギングしているのを見て、ほっとした気持ちになったのを今でも鮮明に覚えている。今思っても不思議な体験であった。

アメリカ人夫婦に会う
その日の帰りにもう一つの出来事があった。
帰りのバスを待っていた時のことである。私は定刻の三十分前にバス停に行った。するとそこにはすでに五十歳前後の夫婦が待っていた。私は腕時計を持っていなかったので、その夫婦に時間を尋ねた。時間を教えて貰い、私が礼を言うと、旦那が「You bet」と返事をした。多分みんなは、どうもありがとうに対し、どういたしましては「You are welcome」か、あるいは「Dont mention it」という返事が返ってくると考えるのではないか。とくにイギリス人はよくこの二つを使う。私が知る限り、どういたしましての意味で、「You bet」と返事したイギリス人はいなかった。

ところが、どういたしましてという台詞を、アメリカ人は「You are welcome」や「Dont mention it」の変わりに「You bet」もしくは「You bet you」を使う。彼が私の「Thanks a lot」に対して「You bet」と返してきたので、私はすぐに「アメリカの方ですか」と尋ねた。すると彼は「そうだが、なぜ私たちがアメリカ人だと分かったか」と聞き返された。

私は「You bet、という貴方の返事で分かりました。イギリス人はそういう台詞をはきませんからね」と説明すると、「君は英語がとても上手だが、アメリカにいたのかね」と聞かれ、ワシントン州シアトルに五年ほどいて、大学と大学院で学んだこと、残念ながら大学院は卒業していないこと、日本に一度帰国してもう一度挑戦しようと考えていることなどを話した。すると彼は、「凄い偶然だな」と奥さんの方を見て驚いていた。「私達はエベレットだよ」と言うのに、私も驚いてしまった。エベレットというのは、シアトルの隣町である。横須賀市と三浦市のような地理的関係である。二人は、私が卒業した大学や大学院も勿論知っていて、帰りのバスの中で話が盛り上がった。

行きとは全く違い、あっと言う間にビクトリア・コーチ・ステーションに到着した。別れ際にその夫婦の住所を教えて貰った。本当に偶然とは
凄いもので、あの時、私が時間を聞かなければ何てこともなかったのだ。だから私は旅が大好きである。その後、私はアメリカに戻ることはなかったので、一度手紙を出した。返事を貰
った。「いつか会いたいですね。シアトルに来ることがあったら必ず立ち寄って下さい」と、温かい言葉が綴られていた。私はこれからも、いろいろな出会いを大事にしていきたいと思っている。

エディンバラその他
エディンバラはイギリスの中のもう一つの国、スコットランドの都市でまちな町並みがとても美しい。私はいつものごとく、ビクトリア・コーチ・ステーションからバスで行くことにした。十時間はかかる。列車なら五時間ぐらいで行けるから列車にしようかと思ったが、バスで十時間かけ車窓から景色を眺めながら行くのも悪くないと考えたこと、イギリスの列車は料金がかなり高いと聞いていたことから、バスを選んだ。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)