私が訪れた時は社員が五十人もいて、不動産部門にも手を伸ばし、そこにも二十人ほどの部下がいるなど、事業が成功していた。

彼の家はハンブルグにあり、会社はハンブルグ中央駅から歩いて二十分ほどのところだった。市内見物もか兼ね歩きながら彼の会社に向かった。話に聞いていた六階建てのビルはすぐに分かった。彼には前の晩に電話を入れてあったので、受付の女性に名前を告げると、「よくいらっしゃいました」と笑顔で挨拶され、気分よく、エレベーターに乗り、社長室がある階で降りると、すぐ横に彼の美人秘書が座っており、「社長、マーチンが首を長くしてお待ちですよ」と心暖かい言葉をかけられ、とてもいい気分で社長室に入った。

大きなデスクの前に座っていたマーチンは、私を見るとすぐに、読んでいた手紙を置き、近寄って来て、「七年ぶりかな」と言いながら、私の手をしっかり握った。彼はすぐ秘書に、出かけるから車を会社の前に回すようにと指示し、行きつけのレストランに予約を入れた。エレベーターで降り、われわれは車に乗り込んだ。その手際のよさを、私はかっこいいと思った。車は勿論ベンツ。美人秘書も同行し、三人でいかにも高級というレストランに入った。

私は自分の身なりが心配になり、そのことをマーチンに告げると、問題ないということだった。われわれ三人は、ウエイターにテーブルへ案内されたが、私だけが場違いな感じがした。周りの人たちがみんな金持ちに見えた。メニューを見て迷っていると、マーチンがここはステーキが最高と勧めてくれたので、そのステーキを注文した。

かつて高級レストランに入り、私は冷やし中華を注文したことがある。しばらくしてウエイトレスが豪華なグラスを持って来た。これは前菜(アピタイザー)だ、と思った私は、そのグラスの中身を飲んだ。酢のような味で美味しくない。半分ぐらい飲んだ時、もしかしてこれは後から出て来るものと混ぜるのではないかと考えた。五分後、氷で飾られためんが運ばれてきた。ところがつゆがない。なんと、先にきたグラスの中身がつゆだと言われ、とても恥ずかしい思いをしたことがあった。私のような田舎者は、冷やし中華のめんとつゆが別々に出てくるという経験をしたことがなかったのだ。それ以来、高級料理を注文するのが怖くなってしまった。

ステーキをご馳走に
しかし訪れた土地土地の美味しいものを食べたいという気持ちがあり、マーチンがステーキが美味しいと勧めてくれたので、それを食べることにした。フオークの使い方はアメリカで身についていたので、ステーキにはあまり困らなかったが、彼が気を使ってくれ、よかったら箸を持って来て貰おうかと言ってくれた。その上、「ステーキをフオークで食べなければならない、という決まりはないんだから、もっと自由な形で食べてもいいはずだ」とさえ言ってくれた。

二時間ほど食事を楽しんだ。ホテルは取ったのかと聞かれ、「直接君の会社に行ったので取っていない」と答えると、彼は美人秘書に、駅前のホテルを予約するよう指示した。彼女はすぐに電話をかけに立ち上がった。マーチンは、仕事が忙しいのと奥さんが入院しているので、家に招待できなくて申しわけないと言い残し、先に会社に戻って行った。彼の秘書が、マーチンの奥さんがここ一、二年、入、退院を繰り返している、と話してくれた。時計は三時を回っていたので、食事を終えるとホテルに直接行った。一流ホテルにびっくりした。

ハンブルグには二日間滞在した。
ハンブルグは港町で、町の造りは全く違うが、横浜のような雰囲気の町である。この町はドイツの北部にあるので、そこからデンマーク、ノルウェー、スエーデンへ足を踏み入れようかとも思ったが、北欧はヨーロッパの中で物価が高いことで有名だ、と聞いていたので、旅行予算に余裕がなかったので、やめにした。

二日目の午前十一時にホテルをチッェクアウトし、マーチンの会社に行き別れの挨拶をし、美人秘書にも、いつか日本に来て下さいと言って握手をして別れた。
十二時三十分発の列車に乗り、エッセンに戻った。四時に到着した。車窓からの眺めは素晴らしく、あっという間の三時間半であった。アンドレアスの家に行き、一晩泊めて貰い、次の日にオランダのアムステルダムに向かう予定だった。(つづく・感想文をお寄せ下さい)