オランダ
アムステルダムへ
アムステルダムへ出発する日、五時に目が覚め、近所を一時間ほど散歩し、気分のいい朝を満喫した。
この経験をしてから私は、旅に出たら毎朝六時前に起き、近所を散歩するようになった。

アンドレアスの家に戻ると、すでに朝食の用意ができていた。勧められるままテーブルに着き、朝食をいただいた。とても暖かい家族で、別れるのが惜しくなった。
午前九時に近くの旅行社に足を運び、約二週間分の予定の列車券を購入。二週間したらドイツに戻って来て、アメリカの大学から講師として派遣されることになっていた大学に顔を出し、講義の件を直接断るつもりでいた。

アムステルダム、ベルギー、フランス、スペイン、ポルトガル、またスペイン、スイス、オーストリア、ドイツという予定を組んだ。国名を聞くだけでも、ぞくぞくしたものである。
私はこの時、この旅に一つの方針というか計画を立てた。この時より十年近く前のことだったが、JTBのコマーシャルで女の子が、「ヨーロッパの美術館巡りが夢だったんです」というせりふを残して飛行機に乗り込むシーンがあり、その場面が、私の脳裏に焼きついており、私もいつかそういう目的で旅行できればいいなあと思っていた。それを実現しようと計画を立てたわけである。

合計すると約三ヵ月の旅をすることになり、十五ほどの国を巡り、百以上の美術館や博物館などを見て回った。直接見た絵画や像は、写真からのインパクトとは全く違った。絵画にはあまり興味がなかった私だったが、帰国後、「絵画の読み方」などといった本を十冊購入したほど、実物を見た感動は大きかった。それはともかく、二週間の予定で列車券を購入した。

友達がエッセンの駅まで車で送ってくれ、そこで別れた。二週間後にまた、という言葉を交わし、私は列車に乗り込んだ。エッセンを出発した時は、とてもいい天気であったが、二時間ほど経つと濃霧になり、雨が降り始めた。傘やカッパを持っていないので、どうしようかと思いながら、後の一時間を列車の中で過ごした。考えてもどうしようもないと開き直っていると、それをあざ笑うかのように雨足が強くなり、霧も一段と濃くなってきた。

背の高いチューリップ
一時間でアムステルダムというアナウンスがあった。濃霧のせいでよく見えなかったが、車窓越しに黄色いチューリップが一面に咲いていた。十分後、人間の背丈ぐらいあるチューリップが見えたと思った。さすがチューリップの
国オランダである。あんなに背の高いチューリップが咲いている、と思った。そう思っていた矢先、その大きなチューリップが動いたように見えた。気のせいかと思っていたが、次に見たジャンボチューリップも動いた。目をこらして見ると、それは何と黄色いカッパを着て作業をしている鉄道員であった。

もう一つ勘違いしたことがある。それは風車。列車の前方に風車らしきものが見えた。いくら何でもあんな大きな風車はないだろうと思った。しかし、形が風車のようだった。風車でも有名な国オランダだから、あのぐらいの風車があってもおかしくない、大風車の名物を作ったのかも知れない、と思った。十階建てのビルぐらいの高さに見えた。列車が近づきよく見ると、それはビルを建てるためのクレーであった。すべて濃霧のせいで、変な勘違いをしてしまった。こんな勘違いをしているようでは先が思いやられるなあ、とにがわら苦笑いしているうちに、アムステルダム駅に到着した。時間は午後二時を回っていたと思う。

YHのロッカーは注意
さっそく「地球の歩き方」を取り出し、宿に向かった。とにかく安い宿を、と決めていたのでユースホステル(YH)をさが探した。市内見物を兼ね、ドイツ語と英語を交え、ユースホステルの場所を尋ね回り、一時間ほどでそこを見つけることが出来た。安いだけあって、きれいではなかった。ロッカーには鍵がついていたが、それを使わなかった。 私はユースホステルのロッカーを信用していなかった。これはドイツで知り合った人のアドバイスであった。鍵は確かについているが、開けようと思ったら、簡単に開けられてしまうロッカーだと注意されていたのだ。とにかくパスポートとお金と列車券など大事なものは、体の三ヵ所に身につけていた。それが後で大きな失敗談としてみんなに話をすることになる。

市内見物はトラム
市内見物に出かけた。街の印象はちょっと暗い感じで、汚いと思った。浮浪者が駅の周りにたむろしていた。市内の交通機関は市電(トラム)、バス、地下鉄があるが、本数が多く旅行者に便利なのはトラムである。長崎で走っているような小さい電車である。
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