ほとんどが二両編成で、つなぎ目が円盤状になっていて、電車が曲がる時、その円盤状がくるくる回る仕かけになっているのが面白かった。精力的に市内を回りたいのなら、トラムを使うことをお勧めする。日本のように停留所はあるのだが、そこにいれば止まってくれるということはなく、乗るという意志を表すために手をあげないと、トラムは止まってくれない。バスもそうである。

私はそのことを知らなかったので、トラムやバスを十台ほど見送った。近くいたおばさんが、手をあげることを教えてくれた。ところでアムステルダムには一日半しか滞在しなかった。主な見所は王宮、ライシェ広場、ダム広場、そして国立博物館であろう。

飾り窓の女たち
かつての日本の赤線のようなもの、と言うのが、分かりやすいかも知れない。ここは古くから各国の水夫が出入りした関係で作られた、と地元の人に聞いた。

その地区だけピンク色のネオンが多いからすぐ分かる。いろいろな男がぶらついており、その一人が私であったわけだが、大きな硝子ばりの窓の奥に下着姿の女性が座っており、男たちに色目を使っていた。窓にカーテンがかかっていれば、すでに客がいますという印である。ここでもエイズがはやっているらしく、壁にエイズと大きな字が書かれてあった。エイズはアメリカだけの問題ではなく、全世界に広がっているんだと改めて思い知らされた。

もう一つ気づいたことがある。それはオランダでもピンク色がエッチな色なんだ、ということ。これはただの偶然なのだろうか。いずれにしてもこの飾り窓が、アムステルダムが生み出した文化の一つと考えれば、見る価値はあるかも知れない。ちなみに同じものをドイツのハンブルグでも見た。ハンブルグでは、百メートルぐらいのまっくずな道に、女のいる「宿」が密集していた。私は調べていないので推測でものを言わせて貰えば、ヨーロッパの港町にはどこにもこういうものがあるのではないだろうか。しかし、イギリスでは聞いたことはない。次はベルギーのブルュッセルに向かう。

ベルギー
ブリュッセル
正直言って、ベルギーのブリュッセルはあまり期待していなかった。ただパリへ行く通り道ぐらいにしか考えていなかった。しかし、それが間違いであることを知った。今ではヨーロッパの素敵な町を推薦するとしたらその一つに挙げてもいいだろう。そのブリュッセル中央駅には九時に着いた。アムステルダムを五時に出たから、三時間半ぐらいかかったと記憶している。

ここでもユースホステルに泊まるつもりでいた。本には、駅からモンデザールを左に見ながら歩いて行くと十分と書いてあった。迷うことなく到着。ドイツ、アムステルダムとユースホステルに泊まったが、ここのユースホステルは設備も食事もかなりいいものだった。四人部屋に決まり、早速部屋に行った。するとすでに二人の男がいた。私に気づき、振り返った。そして相手はいきなり韓国語で話かけてきた。

私は英語で、私は日本人だと言った。彼らは大学生で、休学して旅行をしていた。一緒に食事をしながら、いろいろと話しをした。私は、韓国人が日本人をどういう風にみているかなどを聞き、彼らは、一年ほど軍隊生活をしなけらばならないことになっている、ことなどを話した。そのうちの一人は、大学卒業後、一年ぐらい日本で日本語の勉強をしたい、と言っていた。次の日、住所と名前を交換して別れた。この二人にはその後、イタリアのフレンツェ、ローマ、オーストリアのウイーンで会うことになる。なんとも偶然とは恐ろしい。探しあぐねた小便小僧、ブリュッセルはヨーロッパで推薦する町の一つということは前に述べた。

ブリュッセル公園、王宮、国会議事堂、サンミッシエル大聖堂など、町造りから建物までうまい具合に調和が取れており、素晴らしい町であった。だが、一つだけ頭にきたことがある。ブリュッセルは、小便小僧で知られており、早速、探しに出かけた。宿の人にはここからだと十分ぐらいだから、すぐに分かると言われて出て来たのに、なかなか見つからない。地図を見ても見当違いの方向に進んではいないし、人に尋ねてもすぐそこという返事が返ってくる。その周辺を一時間は探し回った。勿論、有名なのだから人だかりがしているだろうと、私は思い込んでいた。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)