探し始めて一時間半が過ぎようとしていた。疲れて、道端に腰を下ろした。目の前にパン屋があり、そこでパンとオレンジジュースを買った。小学生低学年と思われるかわいい女の子にお金を渡し、お釣りを貰う時、小便小僧はどこにあるか尋ねると、それまで尋ねた十人以上の人と同じように、「そこよ」とかわいらしい声で返事をしてくれた。

私が彼女の返事に困惑している様子を察し、彼女は私の手を握り、走り出した。十五秒も走らなかったろう。彼女は急に止まり、指した。私は彼女が指し示す方を見ると、それまで何度も通り過ぎ、こんなちっちゃいものではないな、と思い込んでいた小便小僧がそこにあった。これまで探していた二時間は何だったんだ、とつぶやきながら、小便小僧の像の前に腰を下ろすと、案内してくれた女の子はにこりと笑って、店に戻って行った。小便小僧を五分ほど眺めていると、それを見に来た観光客が疲れきった様子の私を見て、「がっかりしたか」と声をかけてきた。私は返事する元気もなく、首を横に振った。彼は「向こうに小便こむすめ小娘がしゃがんでいる」と教えてくれたが、行く気になれず、宿に帰った。ちょっとムッときた出来事であった。

ベルギーには他にブルージュやアントワープなど、すばらしい町があるようだが、この旅行で私は訪問できなかった。機会があったら、ぜひ一度は行ってみたいと考えている。

フランス
パリへ
いよいよパリである。ブリュッセルから列車で三時間ぐらいかかった。パリにはかなり期待していたので、列車の中でまるで子供の遠足の前日のように浮き浮きし、時間が経つのが長く感じられた。しかし、ブリュッセルからの景色の素晴らしさによ酔っていた。私は世界にはいろいろな風景や文化がある、死ぬまでに出来るだけ多くの場所を見て回ろうと決心した。

英語嫌いのフランス人
そうこうしているうちにパリに到着。期待と不安がいっぱいだった。多くの人が進む方へ流れて行った。本で今夜泊まる宿を決めてあったので、そこに向かうことにした。終着駅で乗り換え、七つ目の駅で降りれば、宿に着くことになっていた。乗り換え線を間違えなければ、問題ないとらっかん楽観していた。そして、駅員に乗る列車を確認をしようとし、フランス文化の厳しい洗礼を受けた。

私は英語で「ここに行きたいのですが、この列車でいいでしょうか」と、本を開けて丁寧に尋ねた。だが、返事をしない。今度はゆっくり話かけたが、答える気がないかのように、むし無視された。私はこりゃ、だめだと思い別の駅員に尋ねた。今度は私の言うことにうなずいているから、これは大丈夫かなと思った。しかし、彼の返事は全てフランス語であった。「英語でお願いします」と言っても、フランス語。三人目の駅員も全く同じだった。前の二人より態度が悪く、お前などあっちへ行け、といったしぐさをされた。

頭に来た私は、アメリカ英語で興奮気味にまくし立てた。相手も興奮気味にフランス語でまくし立てた。私は最後に「bull shit」(読み方はボーシッィトゥ、くそったれというような意味)と、棄て台詞を吐き、その場を去ろうとした時、年は六十ぐらいだろうか、見るからに紳士風の人が私に英語で話かけた。彼はフランス人だったが、英語力もかなりのものだった。彼がわれわれの仲裁役のようになり、通訳してくれた。後で彼が言うには、フランス人は英語をしゃべりたがらないそうだ。英語が世界語のようになっているのが我慢できないフランス人が多いという。駅員も英語が使えるのに決して話さない。

イギリス人やアメリカ人が英語をしゃべるのに反発する気持ちは分かるが、英語を母語としていない人達が英語をしゃべる時でも、返答をしないということは困ったものだ、とその紳士は駅員にフランス語で話していた。
 彼は、面倒くさかったろうが、私には英語で話してくれた。私は「そうだ、そうだ」とちゃちゃを入れながら、紳士と駅員の会話を聞いていた。駅員は少し怒りぎみにまくし立て、紳士はうなずきながら、フランス語で返事をした。

十分ぐらいして、駅員は憮然とした表情で行ってしまった。私はその紳士にどうなったのか聞くと、駅員はてんけいてき典型的なフランス人だと言い、「君の乗りたい列車は三つ向こうのホームだ」と教えてくれた。別れ際に一言「残念だ」と言い残して人込みの中に消えて行った。話の内容が分かれば、とてもいい勉強になったはずだが、あの時は突然の出来事だったので、紳士に尋ね返す余裕がなかった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)