話には聞いていたが、フランス人の英語嫌いがこれほどだとは思わなかった。フランスには四日間滞在したが、英語でまともに受け答えしてくれたのは、ルーブル美術館だけであった。

エッフェル塔
いよいよ市内である。前日のことがあったので、人に道などは聞けないと思い、ガイドブックを片手に凱旋門に一番近い駅で降りた。五分ほど歩くと、写真で見たアーチ状の建物が見えた。思ったほど感動しない。パン屋に入り、例の堅いフランスパンを朝食代わりに買い、むしりながら、これが有名なシャンゼリゼ大通りかと、オノボリさんのように、周りをきょろきょろ見ながら歩いた。何てことない通りだった。少しひょうしぬ拍子抜けしてしまった。三十分ほど歩くとエッフェル塔が姿を現した。これまた変哲のない建物だった。逆にがっかりしたことが一つある。

それはエッフェル塔の周りに犬のフンがいっぱい転がっており、不愉快な思いをしたことだ。文学を学んできた私は、多くの作家がパリという町を称賛し、絶賛しているのを知っている。それなのにフンが転がり、枯葉がゴミと一緒に混じっていたりで、パリ二日目の印象もよくなかった。

エッフェル塔の前に立ち、上を見上げながら、昇ろうか迷っていた。初めは勿論昇るつもりでいた。し
かし、三十分も待たないと昇れないとのことで、昇る気持ちを失ってしまった。ベンチに一時間ほど腰をかけ、朝買ったパンとジュースで昼食を済ませた。天気はよく、今パリにいるんだなあと思いながら、空を眺めていた。今にして思えば私は、パリを過大に美化していたのだろう。文学の影響も大いにあろう。
結局、エッフェル塔には昇らず、ノートルダム寺院に向かった。三十分程で到着した。その手前にリュクサンブール宮殿があり、なかなかの建物だった。それを横目に見ながらノートルダム寺院に到着。写真を撮っている観光客の姿が多く見られた。何かやっているらしく、たくさんの人が、少し空いているドアの隙間から中を覗いていた。私も見たいと思って、人込みをかき分けて見ると、ミサが行われていた。ローソクが何本も立っており、白い服を着た聖歌隊と思われる子供達が、数十人立っていた。私は五分も見ていないで、その場を離れた。何てこともない一日だったと思いながら、川を横目に近くのリヨン駅に向かった。

その川が有名なセーヌ川である。やはり何てことない川であった。でもセーヌ川を見ながら夕食というのもロマンティクかなと思ったので、そばのレストランに入った。
 しかし、何かがた足りない。足りないものに気づき空しさを感ぜずにはいられなかった。それは、女性であった。周りのテーブルの八割はカップルであった。一人で食事しているのは私ぐらいなものである。中には日本人の新婚さんらしい姿もあった。一人旅のつらいところである。それに気づいてから、お腹は空いているにもかかわらず、食が進まず、半分ほど残してそのレストランを出た。ボロホテルに戻り、四人部屋の一つのベッドに寝そべった。疲れていたので、隣ですでに寝ているアメリカ人のいびきを聞きながら、私も眠りに入った。

ルーブル美術館
いよいよルーブル美術館である。宿を午前九時に出て、ブローニュの森、凱旋門からシヤンゼリゼ大通り、コンコルド広場を通り、ルーブル美術館に到着した。そばにいた人に英語で、ルーブル美術館の入り口はどこですか、と尋ねたが、返事はなく、ただぶっきらほうに指さして教えてくれた。私は相変わらずのフランス人だな、と思いながら、私もぶっきらぼうにサンキューと言い、指を向けた方に足を運んだ。

ルーブル宮殿に入り、中庭に出た。そこにはガラス張りのピラミッド型の建物があり、多くの人が中に入って行っていた。そばにいた人に美術館の入り口はどこですか、と尋ねた。すると、その人は、あれよ、とそのガラスば張りピラミッドを指した。そのガラス張りのピラミッドの入口を入るとびっくりした。何とそこは本当の入り口ではなく、地下へ降りる入り口にすぎなかった。エスカレーターで降りて行った。そのことからも、ルーブル美術館の広さを感じた。

とにかく、本の案内にも書いてあったが、丸一日ここにいようと決心した。エスカレーターを降りると入り口があり、お金を払い、中に入った。観光客が多い。勿論、日本人も。おそらく、日本人が一番多かったにちがいない。私がお金を払って入る時も、日本人の新婚ツアーと重なった。ツアーコンダクターが汗をかきながら、十五組のカップルの入場券を買い、配っている。(つづく・感想文をお寄せ下さい)