フランスは昔、強国だった。だからこのように二十数万点もの絵画が集められたのだろう。ルイ十四世をはじめ、ブルボン王朝の権力と芸術に対する保護への情熱など、昔のフランスを思い知らされた気がした。レストランには二時間もいた。時間を忘れ、いろいろなことに頭を巡らせていた。レストランを出て、ノートルダム寺院とセーヌ川を横目にリヨン駅から汚い宿に向かった。

ベルサユー宮殿
ベルサユー宮殿は見る価値のあるものであり、この建物もフランスの過去の力強さを表していた。とにかく、広く、豪華で、華麗であり、どんな誉め言葉でも当てはまってしまうぐらいに、素晴らしい宮殿であった。

パリの郊外にあり、列車で三十分ほどの距離だった。やはりここでも丸一日を費やしてしまった。そのぐらいの時間は必要である。観光客が多く、旗を持ったツアーコンダクターの後を、幼児が先生の後について行くように追っていた。せわしない光景である。園内にはサイクリングコースもあり、自転車で回っている人や、ジョギングをしている人もいた。ぜひみんなにも見て貰いたい一つである。

この他、私は見なかったがフランスにはオルセー美術館やモンサンミッシェル、シャモニ、マルセイユ、そしてニースなど素晴らしいところが多い。これから行くことにチャレンジしてみたいと思っている。

スペイン
バルセロナ
パリには四日滞在した。前日のベルサユーの余韻を残しながら、午前中、市内をもう一度回り、ブルュッセルから到着した北駅に向かった。ここが全ての都市への出発場所になっている。北駅に二時に到着。とても込んでいた。何人かの駅員に尋ね、どうにか、バルセロナまでのキップ売り場を見つけた。トーマスクックという有名な列車の時刻表を見て、パリを五時に出発し、バルセロナへは翌日午前九時半(この記憶は確かではない)の到着予定でいた。キップ売り場に行くと、かなりの人が並んでいた。キップを買うのに一時間は待ったと思う。どうにかキップを手に入れ、時計を見ると三時半を回っていた。あと一時間ちょっとしかなかったので、自分の乗り込むしんだいしゃ寝台車を探すことにした。メインの駅ということもあり、ホームも多かった。列車が入って来たり、出発したりで、さすが中央駅だと感心したものである。

列車を待っている人を見ていると、英語をしゃべっている人、スぺイン語、勿論、フランス語など、インターナショナルさを感じた。どうにか自分の乗るバルセロナ行きを見つけ、自分の部屋とベッドを確認した。部屋は四人用であった。しんだいしゃ寝台車に乗るのは、私には記憶がない小さい時以来で、お袋いわく、その時私は寝台の二階から落ちたそう
だ。二階から落ちたといえば、大学の寮時代も落ちたことがあり、いやな思い出しかない。

いよいよ列車が出発。私の頭の中は、パリの回想よりも、スペインのことでいっぱいだった。バルセロナに着いて、とんだ目に会うとはその時は知るよしもなかった。とにかくスペインは情熱的な国というイメージを持っていたので、期待していた。
 パリを発ち三時間、もう日も沈んでしまったが、それまで私は景色を楽しんでいた。テレビなどで見た風景そのもので、建物や人々の動きなど、どれをとっても日本の風景とは違い、全てがしんせん新鮮だった。日が沈むと、同室の人達は寝床に入って、寝息を立て始めた。一人デブの女がいて、大きないびきをかきながら寝ていた。女もこうなったらおしまいだなあと考えながら私は彼女の上のベッドに上った。

自分のベッドの電気を点け、ガイドブックの「地球の歩き方」のバルセロナのページを開いた。到着してから一番に何をしようか考えていた。するとあるページに旅行者の体験談がの載っていた。「パリからパルセロナへの寝台車の中でのとうなん盗難に注意」、と書いてあった。書いた人は無事だったそうだが、置いたカバンの位置が大きくずれており、同じ部屋の二人がさいふ財布とパスポートを盗まれたそうだ。

この寝台車のことだなと思いながら、十一時に電気を消し、私も眠りについた。
目をさましたのが五時で、まだあのデブ女はいびきをかいていた。カーテンを開けたら、まだ薄暗い。到着予定は九時半だから、まだ四時間半はある。寝ようか寝まいか考えているうちに、眠れなくなってしまい、ベッドから降り、部屋を出た。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)