休日、ということは銀行も休み。大使館も休みだろうと思って行かなかった。そして、極めつけで最悪だったのは、その祝日が金曜日で、土、日が休みとくるから、三日連休。その三日間何も行動出来ず、ただホテルの部屋にこもっているだけであった。

私の計画では、バルセロナには三日ぐらい滞在し、それからマドリットなどへ行こうと予定していた。それが全てパー。三日間は市内観光だけ。彼女達のことが気になって市外に出ることが出来なかった。昼食のお金を渡し、夕食は一緒に食べた。昼間は別行動で、私は市内を歩き回った。しかし市内は一日あれば十分なのに、三回も同じところを見たり、回った。

バルセロナ・オリンピックが二年後に開催されるというので、モンジュイクの丘に競技場が建設されていた。また、ガウデイの聖家族教会の建物は一八八二年に建設が始まり、計画通りにいっても、完成まで後二百年はかかるということも知った。予算がないらしく、数十人が建設に携わっているだけで、急いで建てているといった様子は全くない。一つ残念なものを見た。落書きである。いろいろな国の人が落書きをしていたが、日本人の落書きも少なくなかった。

ピカソやミロの作品が多くあるカタルーニャ美術館はモンジュイクの丘にあり、丘からの景色がなかなかよかった。それでも時間があまり、平和の広場やコロンブスの塔の前で昼寝をした。もったいないなと思いながら、それまでハードに移動していたから、まあいいかとも思った。しかし、時間があの二人のせいでできたと考えると、腹が立ってくるのだった。

不親切な大使館員
やっと月曜日。朝七時に起き、八時に近くのレストランで朝食を摂り、一番に銀行に行き、口座を開かせ、またホテルに戻って日本に電話。口座番号を知らせ、至急、送金して貰うことにした。しかし、どんなに早くても二日はかかるらしい。水曜日にはお金が手に入ることになった。それから警察。とうなん盗難とどけ届を出した。そうしないと、パスポートが発行されない。警察の届けも三時間はかかった。閉まるぎりぎりに日本大使館にか駆け込み、パスポート再発行の手続きを取った。

応対した大使館員には頭にきた。東大か、どこかの一流大学出身でエリートなのだろうが、人間性に大きな問題ありの人であった。提出書類に目を通し、記入しているわれわれに向かって、彼はそ素っけ気なく「今、多いんだよね、こういう事件が。日本にいる感覚でこっちに来るからだ」とか「もう時間過ぎているから早く記入して」などと言った。人の気持ちも知らないで、よくもまあそこまでポンポン言えるものだと思った。私も彼女ら二人には大変な迷惑を被ったが、彼女らからすれば藁をもつかむ思いで来ているのだ。その大使館員は、彼女達を余計に落ち込ませるようなことを平気で言った。私はその神経が理解できなかった。極めつけは素っ気なく、「二週間後ね」と言われ、さすがに二人はことの重大さに初めて気づいたようで、がっくりしていた。

これで一通りのことはやった。二日後の水曜日にお金を、二週間後にパスポートを受け取ることになる。大使館をいやな思いで出て来て、彼の悪口を言いながら市内を歩いていると、旅行会社が目に入った。私が日本に帰るチケットもないんじゃないの、と聞くと、「うん」と首をたて縦に振ったので、その旅行会社に入った。本当はパスポートがなければチケットは購入出来ないのだが、理由を話したら分かってくれ、パスポートが手に入る二週間後の二日後のチケットが取れた。やり残したことがないか、考えながらホテルに帰った。

バルセロナ五日目である。ホテルの人に今までの経緯を話すと「それはよかった」と言い、二人に「君達はミスタートーチカに会え、本当にラッキーだったね」と言った。私はその時、翌日バルセロナを発ち、マドリットに向かうことを決めた。彼女らにそのことを言うと「もう一日あれば、お金が返せますから、いて下さい」と言われたが、それ以上バルセロナにいる気にはなれず、お金はいいからと言い、二人と別れた。翌日、十一時、出発の前、彼女らと朝食を摂った。彼女らはしきりに私の自宅の住所を尋ねた。「お金を送る」と言うのだ。また私が帰国したら「お宅に遊びに行きたい」とも言った。

彼女達は東京出身、私は神奈川の三浦。三浦海岸に遊びに行きたいなどとふざけたことを言っていた。私はこの縁はスペインのバルセロナだけにし、ここで断ち切る決心でいた。住所を聞きたがるので、来年引っ越すから、私が君らの住所を聞き、電話を入れるから、それから二人で遊びに来ればいい。江ノ島や湘南が車で三十分ほどだから一緒に行こうよなど、心にもないことを言った。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)