日本人女性に会う
どうしようか考えなから、ガイドブックを見ていたら、一人旅をしている日本人女性が話かけてきた。彼女が手に入れた情報によると、このストライキは今夜九時にかいじょ解除になるという。私もそれを信じ、駅の構内にいることにした。パッカー達も同じ情報を持っているらしく、多くは構内に留まっていた。しかし、九時、十時になっても列車は動く気配が全くなかった。結局、その晩は駅の構内で明かすことになってしまった。

そして私は、その一人旅の女性と一晩中話をしていた。彼女はつだ津田塾出身で当時二十五歳だった。仕事を辞め、ヨーロッパを一ヵ月ほど旅行し、それからニョーヨークにわた渡り、オペラの勉強をする、と言っていた。彼女は卒業後、学生時代からアルバイトをしていた、テレビ関係の会社に就職した。仕事はまあまあ面白かったが、学生時代にやっていたオペラが諦め切れきれず、仕事を辞め、ニューヨークでオペラの勉強をする、とを決心したと言う。

ストライキは翌朝解除となり、五時半から列車が動き出した。一緒に朝食を摂っていた時、彼女は「これからパリ、そしてイギリスへ向かう」と言った。私はそれまでの旅行の経験から、いろいろアドバイスをした。彼女は八時十五分発のパリ行きに、私は八時四十五分発のリスボン行きに乗った。別れ際にそれぞれの日本の住所を教え合った。彼女のニョーヨークの住所は行ってからでないと分からないので、決まり次第、手紙を書くと言ってくれ、約束通り手紙が来た。私はリスボン行きの列車に乗り込み、前夜寝ていなかったので、列車が動き出すとすぐに眠りに入ってしまった。

立ち小便
マドリッドを出て四時間ぐらいだろうか、目が覚めた。とてもぐっすり寝ていた。体力も回復していた。後三十分でポルトガルの国境だ、と車掌が回ってきた。列車は止まったが、乗客は何をするこもなく、十分ほど停車しただけで、また動き出した。リスボンまでは、後四時間ほどだとそばにいた人が教えてくれた。

列車はある駅で五分ほど停車した。動き出すと、日本人らしき人が大きなバッグを背負いやって来た。座席を探していた。私と目が合った。私が手にしていた日本語のガイドブックを見ると、「隣の席は空いていますか」と尋ねた。私がはい、と答えると、では、おじゃましますと言い、大きなバッグを下ろし、座席の下に押し込み、席に着いた。その後、お互い一人旅ということもあり話が弾んだ。

彼はとてもユニークな人間であった。年は私より五歳上(当時、二十八歳)で、高校卒業後、十年間勤めていた会社を、このヨーロッパ旅行のために辞めたという。
ヨーロッパ旅行をすることになったきっかけというのがおもしろ面白い。中学校の歴史の授業で先生が「ヨーロッパの人達は立ち小便は絶対にやらん。立ち小便をするのは世界でも日本人ぐらいだ。とてもは恥ずかしいことである」と話したのを聞いていらい以来、本当かどうか、いつか確かめてみたいと思っていたそうだ。会社に休みは貰えてもせいぜい一週間。そしてすでに二度、一週間かけてヨーロッパを回ったと言う。その二度の旅行では、立ち小便を発見するとこが出来なかった。しかし、ヨーロッパの人達が立ち小便を絶対しないということになっとく納得できず、「今回、会社を辞めて六ヵ月のヨーロッパ旅行に出かけて来た」と言うのである。

「それでどうでしたか」と聞くと、列車の中から、鉄道作業員がでんしんばしら電信柱に向かい、立ち小便をするのを見たと言い、六ヵ月の旅行の一番の目的は果せた、と満足げに語っていた。彼も私も、おそらく日本人男性の九割以上は立ち小便の経験があるはずである。彼は、ヨーロッパの人だって日本人と同じ人間だから、立ち小便ぐらいする、と思い込んでいたわけだ。

中学の先生が立ち小便は日本人だけしかしない、というのを、彼は一○○パーセント否定したかった。その証拠を自分の目で確かめたかった。中学の歴史の授業でそれを聞いて以来、常にそのことが腫瘍のように、いつも意識の中にあった。「それが自分が思っていたとおりなので、とてもうれしい」と誇らしげでさえあった。面白い話である。今思うと、勿論、受け取る生徒によって違うが、先生の発言は、ちょうとしたことをこのように大きく受け止める生徒がおり、何かを伝えることを職業としている人の難しさを感じさせられた。

それはともかく、短く感じた二時間で、リスボンに到着した。彼はナザレに向かうというので、リスボンで別れることになった。後一ヵ月旅を続け、ロンドンから日本に帰ると言っていた。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)