十五時間はあっという間であった。コルナンバン駅に到着。時間はすでに八時を回っていた。大きな駅だった。スイスのジュネーブというと、みんなは何を連想するだろうか。私は、スイスは永久中立国で国連本部があり、『エミール』で有名なジヤンジャック・ルソーを思う。つけ加えるとしたらレマンこ湖かな。

本で駅から五分ほどの宿を探した。ところがそのホテルは工事中だった。そのホテルで紹介され、別のホテルに向かった。歩いてわずか二分のところにあり、前のホテルより数段きれいだった。しかも値段が安かった。しかし、一つだけ問題だったのはあいべや相部屋になってしまったことである。それでもユースホステルに泊まった、と思えばいい、そう割り切り、0Kと返事をした。

部屋に行ってみると、すでに二人の男がテレビを見ていた。私がハイ、と声をかけると、二人も愛想よくハイと返事をしてくれた。彼ら二人も旅をしていた。はっきり覚えていないのだが、スペイン人だったと思う。ホテルをチェックインしたのは九時半を回っていた。まず、シャワーを浴びることにした。人を信用しないわけではないが、ルームメイトがいると妙に警戒心が強くなり、パスポートやお金は全てシャワールームに持ち込んだ。そのためパスポートとトラベラーズチェックを濡らしてしまった。シャワーを浴び終え、夕食がまだだったのでフロントに聞くと十一時まで開いている店があるという。道順を教えて貰い、そこに向かった。時間がなかったので、走ったら、転んでしまった。どうにかぎりぎりで間に合った。

ジュネーブは大都市の一つだから、東京のように夜も人通りが多いと思っていたが、丸っきり違った。ほとんど人通りがなかった。店の人に悪いと思ったので、たの頼んだ料理がきたので急いで食べ、最後にレモンティを飲んで、チップを置き、レジに向かった。お金を払い終え「いつもこんなに人通りが少ないのですか」と聞くと、「年末だからね」という返事が返ってきた。そういえば、その日は十二月三十日であった。まっすぐにホテルに帰った。ロビーで少し休んでから部屋に戻ると、二人はすでにベッドに入り、寝息を立てていた。私は彼らが目を覚まさないように静かにベッドにもぐり込んだ。

初めにモンブラン橋を渡り、英国公園、サンピエール寺院、百四十メートルにも達する大噴水、ジュネーブ大学、宗教改革記念碑などを午前中かけて見て回った。天気がよく、レマン湖が素晴らしかった。レマン湖に浮かんでいるヨットを見ながら、湖畔のレストランで昼食を摂った。カップルが多く、羨ましい気持ちになった。この後、国連本部に足を運んだ。特別な建物でなかったが、各国の旗が風にたなびいているのを見ると、気持ちが高まってきた。宗教記念碑を見、カルビン、ファレル、ベーズ、ノックスなど歴史上の人物の像を目の前にした時、大学時代によく名前を聞いていたので、感無量であった。国連本部、国際会議センター前を通り、市内に戻った。時計は三時を少し過ぎていた。

ホテルに戻ろうか、と思いながら、ガイドブックを開くと、、ローザンヌというところのノートルダム大聖堂は、ゴッシク建築でスイスで最も美しい教会の一つである、とあったので、無理して行くことにした。市内から列車で一時間もかからないところにあり、途中、大きな家が多い高級住宅街があった。IOC(国際オリンピック委員会本部)もこの地区にある。ノートルダム大聖堂に到着した。確かに立派な建物であり、中の絵画も素晴らしかった。しかし、もっと美しかったのは、大聖堂のある高台から見える町並やレマン湖、そして遠くの山並みだった。

ホテルに戻ったの時は八時を回っていた。昨晩一緒に過ごした二人は出発していて、やっと一人で気兼ねなくくつろげた。バスタブに湯をいっぱい入れ、日本のお風呂のようにして、一時間も入っていた。ベッドに入ったのが十時。翌日は一月一日である。初日の出をレマン湖で迎えるのも悪くないと考え、時計のタイマーを五時に合わせ、眠ることにした。五時に起き、シャワーを浴び、ニュースを少し見て、六時前にホテルを出た。

ところがこの日は凄い霧で、残念だったが、初日の出にお目にかかれなかった。同じように考え外に出ているカップルが多かった。寒い中、男に肩を抱えられた女性が顔を男に近づけていて、幸せそうだった。いっぷくの絵のようであった。そうこうしているうちに時計が八時を回り、人が増えてきた。近くで朝食を摂り、ホテルに戻り、荷造りをし十時にチェックアウト、コルナバン駅に向かった。次はチューリッヒである。今までのジュネーブがフランス語圏だったのに対し、チューリッヒはドイツ語圏である。スイスとは面白い国ではある。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)