洗濯事件
この事件には本当に参った。みんなと別れ、また市内に足を運んだ。昼食を摂り、部屋に戻ったのは二時過ぎだった。こんなに早く戻ったことにはわけがある。それはこの三週間ほど、一回も洗濯をしていなかった。Tシャツやパンツは時たま洗っていたが、ジャケットやジーパンは洗っていなかった。それらを洗濯しよと思ったのだ。

洗濯機はあまり新型ではないが、ホテルの地下に五台あった。誰も使っていなかったので、三台を独占し、洗い分けた。三十分ほどで終わったが、なぜかもう一度洗おうと思って、お金を入れ、スイッチを入れた。三十分後に、これできれいになったろうと取り出し、乾燥機に入れた。
洗濯機から取り出した時、紙屑が出て来たが、気にしなかった。十五分ほどして乾燥機から取り出して見ると、紙屑のようなものが、服のいたるところにくっついていた。何かなと大きめのを手に取り、爪で開いて見ると、「ドライバーズライ」まで読めた。

その途端、ワールドカップ二次予選、最終戦のイラク戦のロスタイムで同点にされ、ワールドカップ本選アメリカ大会出場の夢がくだ砕かれた日本選手のようにほうしん放心じょうたい状態におちい陥った。私は「嘘だろう、嘘だろうと」を何度も繰り返しながら、ジーパンのポッケットやジャケットのポッケトに手を突っ込んだ。

すると紙屑がボロボロ出できた。洗濯の前に一度確認したが、秘密のポッケットの確認を忘れていた。そこにはトラベラーズチェック千ポンド分、現金で日本円が五万円、アメリカドルが五百ドル、ウイーンからドイツのエッセンまでの列車の切符、ロンドンで取った車の免許書(これは日本の免許をもっていれば書き換えができる。またヨーロッパの約十ヵ国で有効。これがピンク色のもので、日本の免許書とは違い、しっかりした紙で三つ折りになっている。

くちゃくちゃだが今も保存してある)、パスポート(これはビニールのカバーがしてあったので、無事だった)、アメリカの学生書とIDカードである。問題がなかったのは、パスポートと現金。しかし、トラベラーズチェックは見るも無残な姿になってしまった。(ただこれは番号を書いたメモをパスポートの中に入れていたので、後にアテネで再発行して貰った)。現金は四つ折りにした状態で入れていたので、それほどダメージはなかったが、ほどくのに一時間は要した。とにかくだめだったのは、イギリスの車の免許書、アメリカの学生書とIDカード、それとドイツ・エッセンまでの列車の切符であった。

無効だった切符
洗濯した服を腫物にでもさわるように、部屋に運んだ。それから三時間ほどの悪戦苦闘が始まった。一番の損失は何といっても、列車の切符である。これが使えなければ二万円ほど損したことになる。時間をかけ、机の上にジグゾーパズルでもするかのように、組み立てていった。どうみてもこれでは無効だろう。しかし、貧乏旅行の私にとって切符を再び購入するのはあまりにも痛かった。当たって砕けろと、それを西駅まで持って行った。七時は過ぎていたと思う。

駅前に着いたが、どうしようか迷った。十五分ほど、好きな人を目の前して手紙を渡せず、もじもじしている女の子状態でいた。しかし、決断をして、列の後ろに並んだ。すぐに私の番になった。私はどういうふうに話しを進めようか考えていなかったので、少し緊張し、係の人を目の前にしてあがってしまった。駅までの途中で買った、写真を入れる下敷きに入っている、私のジクゾーパズル状の切符を見せた。彼は「これは何だ」と言いながら、その下敷を手に取り、医者がレントゲン写真でも見るようにみつ見詰めた。

私は、「これ使えますかね」と小声で尋ねた。駅員は「残念だけど無理だね」と返事。私は「でもキップであることは分かるし、駅名などもしっかり読み取れる」と食い下がった。彼は、私の必死な口調に、気の毒に思ったのか、上司を呼んで来ると言い、席を立った。少し冷静さを取り戻した私は、後ろに十人ほどの人が並んでいるのに気づいた。私は、申しわけない、と後ろの人達にあやま謝った。その人たちは私の行動のいちぶ一部始終を見ていたらしく、口々に「いいからがんばれ」と温かく励ましてくた。だれ一人としていやな顔をせずにである。彼ら彼女らは、私のせいで十五分も待っているのである。

上司がやって来て、下敷を手に取ると、「残念ですが、これでは無効です」と言った。後ろにいた中年の少し酔っているような気配の人が「国際問題になるから再発行してやれよ」と援護射撃をしてくれたが、上司はに苦笑いをしながら「無理だね」と言った。やることはやったんだと考え、私はもう粘る気はなかった。
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