そこにいた人々の温かい気持ちがとてもうれしかった。両手でその下敷を見詰めながら、肩を落とし、その場を立ち去ろうとした私に、数人が「残念だったね」と声をかけてくれ、私はハッとして、「私の都合で待たせてしまって、どうもすみません」と謝った。私の肩をたたいて励ましてくれた人もいた。

こういう出来事にぶつかったが、今にしてみればいい思い出である。あの人達の心の暖かさを味わえたことで、またいつかウイーンには行きたい、という気持ちを持ち続けている。
 新しい切符を買うことになったが、予定を変更して、ドイツには戻らず、イタリアのベニスに向かった。

イタリア
ベニス
ウイーンからベニスまで七時間ほどかかる。朝一番の列車に乗り、午後一時前にベニスに到着した。いつものように景色が素晴らしく、七時間の列車の旅が長いとは感じなかった。いよいよイタリアである。イタリアというと何といってもルネッサンスの発祥の地ということが頭に浮かんでくる。
イタリアの旅行でもいろいろ経験した。まず、ベニスから話を始めよう。

ベニスというと、水のみやこ都という言葉を思い出すのではないだろうか。私の乗った列車の両側に海が開けてから十分ほどでサンタルチア駅に到着。この十分で、おそらくみんなは水の都ベニスに来たんだと実感するだろう。

それはさておき、サンタルチア駅は、何てこともない大きさと建物であった。しかし駅を出ると、目の前はそれまでの風景とは大きく違い、小船がずらり並んでいて、列車から降りて来たわれわれを、漕ぎ手が大きな声とオーバーなジェスチャーで船に乗れと誘っている。私はその場に腰を下ろし、三十分ほどその光景を見ながら、何を考えることなくぼーとしていた。それから腰を上げ、ガイドブックを取り出し、地図を見てサンマルコ広場に向かった。ベニスは百七十七の運河、百十八の島があり、しまじま島々の間に四百の橋がかかっている(ガイドブック参考)。

絵画にみ魅せられる
歩き始めると、そこはまるで迷路のようで、案内の矢印がないと到底目的地には着けないと思った。建物はレンガや石で造られており、古さを感じさせた。老人達が何やらゲームをして楽しんでいる姿を見たが、彼ら彼女らの顔は日本の老人の顔、雰囲気とまるで違うことに気づいた。とくにイタリア旅行中そのことを感じた。

約四十分歩いて目的地、サンマルコ広場に到着。サンマルコ寺院の丸天井のモザイク画は美しかったが、隣りのドゥカーレ宮殿の「溜息の橋」はただ暗いだけで、そこから先が監獄だということが納得出来た。サンマルコ広場のそばの船着き場から五分ほどのところにあるサンジョルジョマジョーレ島に渡った。そこにある教会の屋上からの
眺めは、サンマルコ寺院の屋上からの眺めより美しく思えた。アカデミア美術館、フランケッテ美術館、レッツォニコ宮殿の建物が美しく、絵画にも魅せられてしまった。

そうこうしながら、迷路を五時間ほど巡り、サンタルチア駅に戻って来た。時計を見ると、六時を少し回っていた。もう日はすっかり沈んでおり、街頭も点っていた。ベンチに座りガイドブックを取り出し、宿を決めようとしたが、住所を見てもどこがどこだか検討がつかず、探すのがいやになった時、列車が止まっているのに気づいた。確認すると、それはミラノ行きで、ガイドブックに所要時間は二時間半とあった。列車は十分後に出発する。私は思わずそれに飛び乗ってしまった。一人旅の気楽さといい加減さではある。

ミラノ
八時半過ぎにミラノに到着。まず驚かされたのは、ミラノ中央駅である。これが駅かと思わせるほど素晴らしかった。まさに芸術作品。見物料金を取られても一見の価値がある建物であった。

早速、ガイドブックで宿探しに入った。ラッキーにも一つ目の宿で部屋が取れ、九時過ぎにはベッドに入れた。テレビをつけるとサッカーをやっており、いいゲームであった。さすが本場は違うと思った。三十分ほどするとゲームが終わってしまい、眠りに入ろうとするが、サッカーの興奮が覚めず、目がさ冴えてしまった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)