ほんの一瞬の出来事であった。四人はあっと言う間に別々の方向に逃げて行った。まさに早業であった。新聞紙はカモフラージュで、両脇の二人の手を隠すためのものであったのである。

私は、財布はいつも隠しポケットに入れていたので、被害には遭わなかったが、しかし、驚きである。話によると、赤ん坊を抱えたおばさんがやって来て、赤ん坊を無理やり預け、そのすきに荷物ごと持って行かれたり、たくさんの子供が突然近づいてきて、荷物を奪ったりするらしい。ローマ市では取り締まりがお手上げ状態のようであった。

十時を回って、やっとバス乗り場を見つけ、目的地であるユースホステルに行くことができた。十五人部屋でいかにも運動選手の合宿場という感じであった。食堂が遅くまでやっていたので、助かった。

ローマでは初日から子供のことで驚かされた。かつてメキシコで、子供が親と一緒に路上で寝ていたり、ガムやチョコレートを売っている姿を見てびっくりさせられたが、今回もびっくりさせられた。ローマ滞在中、十回以上も子供達の物乞いに会ったが、私は一回もお金を渡さなかった。もしみんながローマ行くことがあったら、注意して貰いたい。ちょっとした善意が自分の首をしめかねないからね。少し冷たい行動と思う人もいるだろうが、外国ということを忘れずに行動すべきである。

バチカン市国
世界最小の独立国、バチカン。全てが宗教のためにある市国である。また、芸術も網羅しているところでもある。不思議な独立国である。宿からバスで二十分ほどのところにあるサンピエトロ広場が、バチカン市国の終着駅である。正面の建物の上に人物像が何体か立っていた。サンピエトロ寺院の中に入ると、ミケランジェロ作の「ピエタ像」がある。この他、バチカン美術館、システィーナ礼拝堂があり、壁や天井など至る所に絵が描かれている。いずれの絵も宗教絵で、キリスト教を勉強していた私にとってはこの上ない感動であり、時間を忘れむさぼるように見入っていた。

また誰もが知っているミケランジェロの「最後の審判」、旧約聖書の『創世記』の天地創造などの描写は、同じ人間が描いたものかと思わせるぐらい、素晴らしいのひとこと一言であった。さらに古代ローマの遺跡であるフォロロマーノ、コロッセオ、パンテオン、ベニチア広場に立っているエマニュエル二世記念堂、サンクレメンテじいん寺院など素晴らしい遺跡や建物ばかりだった。

ただ『ローマの休日』でオードリヘップバーンがアイスクリームを食べたところとして有名なスペイン階段は、何てこともない階段であった。後ろ向きでコインを投げると、再びローマに戻って来れるという言い伝えがあるトレビの泉。ここにはがっかりした。大きい泉かと思っていたのに、とても小さく、ベルギーで小便小僧を見た時と同じ感じだった。

ローマは見物するところが多い。ローマ国立博物館、カビトリーノ美術館など、他の国なら間違いなく代表的な美術館や博物館になるであろうものが、幾つもローマにはある。三日しか滞在できなかったことを残念に思う。ローマに行くなら事前にキリスト教のことを勉強して行ったら、十倍は楽しめると思う。

ナポリ
今度はナポリの話をしよう。
ローマを九時に発って、二時間ほど列車に乗るとナポリである。ナポリについて知っていたのは、港町であることとサッカーで有名なマラドーナがナポリのチームにいたことぐらいで、ナポリの歴史は勉強不足であった。

ローマとは一転して、全く感じが違う。町に明るさがあり、ローマのように物乞いの子供達がたむろしていることもなかった。ただ、歴史的な建物はそれほど多くはなかった。宿はユースホステルにしようと決めていたので、早速向かった。駅から十分ほど坂道を上る丘の上にあるのだが、私は道を間違えてしまい、一時間もさまよい歩いた。どうにか昼前に探し当てることが出来た。

ローマのユースホステルと比べるときれいだし、部屋は四人部屋と二人との二つのタイプがあり、私は二人部屋にして貰った。相手がいなかったので、久しぶりに気を使わないで寝ることが出来た。いつも寝る時は、財布やかばんのことを気にしていたから、ナポリの二日間はゆったり出来た。

三度もあった韓国青年
昼食を摂りに地下の食堂に行くと、何とそれまで二回会ったことのある、あの二人の韓国人また出会った。三度目である。お互いびっくりした。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)