一緒に食事をしながらそれまでのことを話し合った。そして翌日、三人でカプリ島に行くことにした。昼食後私は、ケーブルカーに乗ってボォーメロの丘に登り、サンマルティーニ修道院を見学した。この修道院がある丘からの眺めが私は気に入った。この後、ナポリ国立考古学博物館に行って、ギリシア、ローマ時代の絵画や大理石の彫像を見た。

七時ごろ宿に戻り、二人の韓国人と夕食を一緒にし、翌日の宿を出る時間を決め、私は部屋に戻り、久しぶりに八時前にベッドに入り、ぐっすり眠った。翌朝七時半に目が覚めた。本当に熟睡したという感じであった。シャワーを浴び、食事を摂り、三人で九時前に宿を出て、九時半の船に乗って、カプリ島に向かった。一時間三十分の船旅だった。島に到着。三人でどうしようか相談していると、六十歳ぐらいのおじさんが私達のところにやって来て、船で島の裏側の洞窟に行ってみないかと誘う。観光客相手の商売らしい。それらしき老人が十人ほど、船から降りて来る人たちに声をかけていた。値段を交渉をした。三人で割ればよかったので、格安で行けた。

島の裏の洞窟まで三十分ほどかかった。思った以上に波が高く、私は酔ってしまった。やっと洞窟に到着したと思った途端、それまでの酔いがいっぺに覚めてしまった。洞窟の中の海の色がエメラルドグリーンに輝いているではないか。おじさんに泳いでみろと言われ、一瞬ためらったが、パンツも脱いで泳いだ。冬だったのでとても冷たかったがそれより周りの海の色に感動してしまった。

十分ほど泳いで、船に上がった。私の大切なものは縮こまってしまっていた。これだけ冷い水に浸るとこうなるのかと再認識した。あの洞窟は彼女と一緒に行ければ最高だろうと思う。ああいうところで愛の告白をしたいものである。女性はいちころだろう。それだけ、素晴らしかった。
船着き場に戻り、バスで島巡りをしたが、これと言った見どころはなかった。ただ、もう一つ、カプリ島で感動したことがある。昼食で食べたシーフードスパゲティー。量が多く、味は最高、値段も日本円にして四百円程度で、本当においしかった。洞窟で泳ぐこととあのスパゲティーを食べにもう一度カプリ島を訪れたいと思っているほどだ。

帰りは港まで歩いて時間をつぶ潰し、四時の船に乗ってナポリに戻った。二日目も私一人で部屋がどくせん独占出来たので、早めに寝た。私の次の予定は、ギリシアへ船で渡るための港、ブリンディシィーに向かうことであった。ナポリから列車で六時間半はかかる。早めに寝て、朝一番の列車に乗るつもりでいた。韓国人二人は、それからマフィアで有名なシチリア島に向かうと言っていた。これ以降、会うことはなかったが、お互いの住所を教え合って別れた。帰国して二度手紙のやり取りをしたが、その後、交流はない。

ブリンディシィー
ブリンディシィーはナポリから六時間ほどのところにあり、ギリシア行きの船が出ている。ナポリを七時に発ち、午後一時過ぎにブリンディシィーに到着。長距離列車がよくこんな駅に止まるなあと思うぐらいに小さい駅であった。駅から港まで歩いて二十分ほど。その途中に小さい旅行代理店が幾つもあった。目についた代理店に入り、ギリシャまでの船の切符を購入した。料金は忘れた。ギリシアのパトラス港まで十八時間はかかると言われたが、地図で見ると、それほどかかるようには思えなかった。出発は十時でそれまで九時間もあった。

昼食を摂りながら、九時間をどう過ごそうか考えた。ガイドブックを見ても、ブリンティシィーは紹介されていなかった。ちかば近場で行ける手ごろな場所も紹介されていなかったので、私はこの町で九時間を過ごすことになった。でもこの九時間は私にとり大きな収穫があった。後で述べたい。
食事を終え、自分の乗る船を見に行ったが、まだ船の姿はなかった。国と国をまたぐ船旅なので移民局で手続きしなければならない。移民局にはすでにパッカー(大きなバッグをしょっている旅行者達)が数人いた。彼等彼女らはアメリカ人で、数分間話をした。移民局の開く時間は六時であった。

船が出るまで九時間近くあるので、港町を一時間程歩いただろうか、疲れたので座り込み、ぼーっと海を眺めていた。目の前の漁船で多くの人が汗を流し、息を切らして働いていた。息が寒さで白くなり、ゴジラが放射能を吐き出している姿に見え、笑ってしまった。三十分ほど座っていただろうか。私はとても寒くなり、近くでコーヒーでも飲めるところがないか、見回したがありそうになかった。それまで歩いたところにもなかった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)