船内を歩き回っていると、老人と子供がボールをけ蹴っていた。私がじっと見ていると、一緒に蹴ろうとさそ誘われ、三十分ほどボールの蹴り合いを楽しんだ。老人、子供はとてもうまかった。老人は私に向かってグ、グ(グッドの意味)を連発した。私は中学以来大学二年までサッカーをやっていたから、多少のことは出来るが、彼らイタリア人にとってアジア人がサッカーが出来るというのは不思議なことなのかも知れない。私がヘディングやリフティングをやると驚いていた。時間潰しには最適であった。

ギリシア
アテネへ
そうこうしているうちにパトラス到着。六時少し前だった。下船して、どうしようか考えながら移民局を出ると、バスが何台も並んでいた。そのうちの一台にアテネ行きと書かれてあった。かつてギリシア語の授業を受けたことが役立った。運転手に確認すると、やはりアテネに向かうという返事だった。たどだとしいギリシア語で「アテネまでどのぐらい時間がかかるか」と尋ねたら、四つの指を立てた。四時間なら十一時前にはアテネに到着するので、そのバスに乗り込むことにした。客は十人も乗っていず、何か不安を感じた。乗客にもこれはアテネ行きですよねと何度も確認した。

バスは出発。すでに暗かったので、風景を楽しむことは出来なかった。しかし、また不安になってきた。というのは三十分ごとに乗客が降りて行き、アテネまでまだ二時間はあるというのに、乗客は私だけになってしまたのである。不安が募るばかりだった。運転手は食事を摂ろう、と古びた食堂の前にバスを止めた。広い食堂だったが、夜ということもあり十人ほどの客しかいなかった。テレビにはサッカーの試合が映っていたが、不安で見る気にはなれなかった。置いて行かれては困ると思い、運転手ばかり見ていた。本当はトイレには行きたかったが、がまん我慢した。食事はスープだけ頼んだ。しかし、手でむしられたような大きなフランスパンが幾つか出てきた。ギリシアでは飲み物だけを頼んでも、パンがいつも一緒に出てきた。

三十分ほどして運転手が立ち上がった。私はその後について行った。バスに乗り、このまま知らないところに連れて行かれたらおしまいだなあ、と不安を煽るようなことばかりが頭をよぎった。
 しかし十一時にアテネに到着したので一安心。運転手にサンキューと言ってバスを降りた。右も左も分からないので、すぐにガイドブックを出し、宿を探した。しかし、自分のいる正確な位置がつかめなかったので、苦労した。バスのそばで十五分ほどガイドブックを見ていたら、バスの運転手が、いい宿がすぐ近くにある、と話しかけてきた。

少し不安だったが、運転手について行った。歩いて二分もしないところに宿があり、私はそこに泊まることを決めた。部屋代は安く、一人部屋で朝食つきであった。部屋のキーを渡され、部屋に入りまずシャワーを浴び、少しテレビを見て、眠ろうした。しかし、なかなか眠れない。そのわけは、部屋が道路側で、車の音などの雑音が耳に飛び込んできたからである。一時間ほど眠ろうと努力したが、雑音を我慢すればするほど、眠れず困った。

 
結局、フロントに行って、できるなら部屋を変えて欲しいと頼んだ。すると心よく受け入れてくれた。移った部屋は、道路とは反対側だったので、静かであるはずであった。やっとゆっくり眠れると思いながら、ベッドに入って十五分もしたころ、女性の微かな呻き声が聞こえてきた。私は初め、猫の鳴き声だと思っていたので、気にしなかったが、時間が経つにつれ、これは確かに女性の声だと思うようになった。ちょっとHな声だったので、おそらくテレビだろうと考え、スイッチを入れ、チャンネルを回して見た。

しかし、それらしき番組はない。スイッチを切り、静かにしていると、やはり女性の喘ぎ声がする。次第に激しい喘ぎ声になり、私は窓を開けて下を見た。すると二つ下の階の部屋の窓が開いていて、そこから声がも洩れていた。隣がビルだったので、ビルには跳ね返った聞きたくもない声が、私の耳に届いてしまったのである。今度は部屋を変えてもらう理由も見つからず、再びシャワーを浴び、テレビを見た。喘ぎ声は一時間も続き、私が寝むりに入れたのは、三時は回っていたと思う。とんだ一日であった。

前夜の出来事で寝不足になり、起きたのは十時を回っていた。シャワーを浴び、食事を摂りに下まで降りた。すると何人かが食事をしており、その中にカップルが何組かいた。どいつらだったんだろう、と思いながら、食事をした。(つづく・感想文をお寄せ下さい)