十一時にチェックアウトをした。その夜は近くのユースホステルに泊まるつもりでいた。ところがそこでもすいみん睡眠不足になる出来事に遭遇してしまうが、それは後で書く。

宿を出て、真っ先にパルテノン神殿に向かった。歩いて約三十分で到着した。町中を歩いていて気づいたことがある。それは異常に大きいゴミの山が、あちこちに散在していたことだ。汚いなあと思いながら、町中を歩いていた。ある人に聞いたら、ゴミ収集人たちがストをしているという。いろいろなストは聞くけど、このてのストは初めて聞いた。今日で四日目だと言っていた。困ったものである。アテネは観光地の一つだが、これだと観光客の印象がよくない。私自身、地中海の島々にはもう一度行きたいと思うが、アテネに行こうとは思わない。

パルテノン神殿
高さが二百メートルはあろう丘をせっせと登り、パルテノン神殿に到着。頂上の手前に料金所があり、支払いをす済ませ、入場した。ここにゼウスなどの神々が住んでいた、と人々が信じていたのかと思うと、感慨深かった。
しかし、白い丸太のように大きな柱が、あちらこちらにぽつんと立っているだけだった。一時間かけて歩き回ってから丘を降りた。その降りたところから少し離れたところに、キリストの弟子のヨハネが演説をした場所があった。そこからアクロポリス博物館に向かった。そこで、古代ギリシアの生活様式がどのようなものであったかを見ることができた。

古代アゴラは政治、文化、哲学の中心で、この場所で多くの人達が議論をしたという。有名なソクラテスなどもここで大いに熱弁をふるったのであろう。朝、遅く宿を出たので、すでに時間は四時を過ぎていた。予定していたユースホステルに向かい、そこに五時に到着した。

アテネの列車の終着駅であるラリッサ駅から歩いて約五分のところで、列車で来た人には便はいいだろうが、とても古くてぼろだった。しかし、料金を見て、何も言えなくなってしまった。日本円でわずか五百円ぐらだったと記憶している。私が泊まることになった部屋は、六畳ほどの二人部屋で、ベッドが両端に置かれていた。床に幾つか穴があったり、歩くときしむ音がしたりで、さすが五百円の部屋だと思った。

美人女性と相部屋に
部屋の外にあるシャワーを浴びに行った。しかし、熱い湯が出ず、ぬるまゆ湯で参ってしまった。早めに切り上げ、部屋に戻り、服を着た。ちょうどその時、ドアにノックの音がした。私が「ヤー(英語でイエスの意)」と応じると、ドアが開いた。大きなバッグを背負った、髪の長い、ブルックシールズ似の美人が現れた。私は「何ですか」と聞くと、「私の部屋もここなんです」と言いながら、部屋に入って来た。「私もここなんですが」と言うと、彼女は「フロントで聞いています」と答える。私は、フロントに話に行った。一つの部屋にベッドが二つ。男と女の相部屋はまずいんしゃないか、と私はとても弱い口調で抗議した。すると、フロントの男はニヤッと笑い、「いやなのか」と言い返してきた。「彼女が0Kと言っているからいいじゃないか」と言い、彼は私にもう一度いやかと聞き直し、私は「いやじゃないけど:」と口ごもってしまった。「それならノープロブレム(問題ないね)」とフロントマンが言い、彼は、自分の仕事を始めてしまった。

部屋に行くまで、にやにやしながら歩いている自分に、ドアの前に立って気づき、「これではいけない」と入る前に気を引き締めた。彼女はどうだった、と尋ね、私は、君さえよければ、ということになったと返事をした。

彼女がシャワーを浴びる準備をしていたので、、シャワーの後、一緒に食事でもと誘った。すると彼女は0K。私ももう一度シャワーを浴びた。ぬるま湯ではなく、水だったが、入念に体を洗った。下着も一番新しそうなものに着替え、もしかしたら、の時に備えた。ロンドンでの生活とそれまでの旅は禁欲状態だったものだから、とても美人でしかもアメリカ女性だったので、私は、F1のスタート前の車のようなものであった。二十分ほどすると、彼女は、熱い湯が出ないで困ったと、濡れた髪にタオルを巻いて入って来た。またこれが欲情をそそる。私は冷静さをよそおいながら、頭はパニックであった。

いっしょ一緒にユースホステルを出た。フロントの男に「You are a lucky guy」(お前、ついてるね)と言われ、私はヤーとだけ返事をした。彼女は列車でアテネに入ったばかりらしく、市内は全く知らなかった。私も勿論それほど知っているわけではないが、彼女より二日先輩である。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)