三十分ほど歩いて、少し賑わっているレストランを見つけたので、そこに入った。席に着き、注文してから、お互い自己紹介をした。彼女の名前を今、思い出せないが、出身はフロリダだった。お互いの身の上話をした。私は、アメリカに滞在して大学を卒業したことなど。彼女は仕事をしていたが、辞めて三ヵ月のヨーロッパ旅行に踏み切ったことなど。あっという間のひと時であった。二時間はそこにいただろうか。レストランを出るころはすでに九時を回っていた。一緒に部屋に入るというのは変な気分だった。お互い疲れていたので早めに寝ることにし、床についた。

部屋は真っ暗になり、私の頭は段々ハイ状態。一時間経っても、まだ眠れない。変に動くと誤解されるし、彼女より先に寝ていびきをかいたら悪いし、自分が望んだ展開にならないとか、二度もシャワーを浴びた自分が馬鹿に思えるしで、三時間は寝られなかった。もんもんとしていた時、ビニールの袋をこするような音が聞こえ始めた。部屋には私と彼女だけ。もしやと思いながら、大きな期待と小さな不安で胸が張りさ裂けそうになった。しかし、音が続いているだけだった。私は思い切ってベッドの小さな電気をつけてみた。

すると、彼女のバッグの中のビニール袋に入っているパンを引っ張っている、大きな鼠がそこにいた。明かりにびっくりして、床の穴に逃げて行った。とても大きな鼠だった。しかし、その明かりのおかげで、彼女の寝顔が見られた。熟睡している彼女を見て私は、それまでのフラチな考えを反省し、もっと男を磨かなければいけないと思った。

翌朝、彼女の方が早く起きていた。一緒に朝食を摂ることを約束し、二人ともシャワーを浴びに行った。また水。一浴びしただけで止めた。朝食を食べながら、その日の予定を話し合った。彼女は私が前日巡ったコースを行くらしい。私は翌日ドイツに戻るので、切符を買いに旅行代理店に行くことと、オーストリアで洗濯してしまったトラベラーズチェックを再発行してくれる事務所に行く予定でいた。彼女とは朝食後に別れた。

ふかく不覚にも私は彼女の住所を書いたメモをなくしてしまい、悔やんでも悔やみきれないでいる。また旅行中、カメラを持っていなかったことも残念でしかた仕方がなかった。カメラは撮るところがいっぱいあり過ぎるし、持っていない方が安全だと判断し、持って行かなかったわけだが、彼女の写真は欲しかった。お互い、「Nice to meet you」(あえて嬉しい)と言葉を交わしただけの別れであった。このようにして私の寝不足の二日間は幕を閉じた。

旧ユーゴスラビア
彼女と別れた後、すぐに近くの旅行代理店に行き、飛行機でドイツに戻ろうか、列車にしようか迷った。料金は飛行機が一番高く、列車、バスの順に安くなっていた。飛行機はともかく、列車もかなり高かった。逆にバスはかなり安かったが、四十八時間かかると言われた。飛行機なら五時間で明日の便に空席があると言われた。また、列車だと三十二時間かかるとも言われた。バスは丸二日かかるのだが、貧乏旅行をしている私にとって、時間よりお金の安さの方が魅力で、バスで行くことにした。夕方四時にラリッサ中央駅前から出ると教えられた。料金は八千円ほどだったと記憶している。

バスの待合室に行くと、すでに二十人が受付の前に並んでおり、乗車の手続きをしていた。出発時間になり、バスに乗り込んだ。座席は決まっていないので、各自が自由に座り込んだ。四時を少し過ぎてバスは、空席をかなり残したまま出発した。バスは古く、四十八時間も走ることが出来るのか、不安がよぎった。

 これからユーゴスラビアを通り、オーストリアからドイツに入ることになる。ユーゴスラビアは、旧ユーゴスラビアだが、その後、大変な悲劇に見舞われた。まさか、あの国が、と思っている。勿論私が通ったころはもんだい問題が表に出ていず、バスはユーゴスラビア経由で週に三回、アテネードイツ間などを走っていた。六時間走って、第一の休憩所、テッサロニキに到着。ここにはたくさんのバスが止まっていて、夜中だというのに、すご凄い人の数であった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)