テッサロニキは後に、トルコの旅でイスタンブールから着くので、二度通ることになる。ここで一時間休んだ。ここで降りる人がいたが、乗り込んで来る人が多く、空席は以前より少なくなった。時間はすでに十二時を回っていた。それまでの六時間はとても眠かった。長旅であることを頭に入れ、眠るのを我慢していたのだが、やっと眠ることが出来た。

起きたのは八時を少し過ぎていた。走っているバスの運転手が、何やら大声で私達に向かってしゃべっていた。私は何を言っているのか分からず、そばにいた婦人に尋ねると、手振りで、食事だと教えてくれた。約十分後、バスが止まり、私達は古びたレストランに入った。私は店の人にドルは使えるか尋ね、OKだったのでほっとした。さすがはドルである。あのころと今とでは大きく変わっているので、正確なことは分からないか、当時のヨーロッパの国々でドルは、自国の貨幣より強かった。トルコ旅行でもそうだった。お土産屋などで、ドルならねび値引きすると何度も言われ、ドルの恩恵を受けたものだ。当時のヨーロッパではドル、マルク、ポンドの順で貨幣価値が高かったように思う。自国のお金より他国のお金の方が価値があるというのは、われわれ日本人には理解出来ないことである。

時計を騙し取られた男
すでに丸二十四時間バスに揺られていた。同じ音楽を何度も聞いて、同じような風景を何度も見た。ユーゴスラビアの風景はアメリカのアリゾナのように荒野が多く、時折り、小さな湖があった、としか記憶に残っていない。山の登り降りが多く、バスはゆっくり進んで行った。再び運転手が休むと言って、バスを止めた。今度はトイレだけなので、十分で戻る
ように指示された。

するとトイレの入り口に、年のころ六十を回ろうかという老人が座っていた。老人のそばには小銭や紙幣が無造作に置かれていた。そしてその老人は、若い男に話しかけていた。すぐに話がまとまったようで、老人はポッケットから(余りうまく説明できないが)とても小さなキャップ三つと、そのキャップの大さ合った白い玉をわれわれの前に並べて置いた。白い玉をいずれかのキャップに入れ、順番を入れ換えた。どのキャップに白い玉が入っているかを当てる、ごく簡単なばくち博打であった。

初めは若い男一人であったが、すぐに五人ほどの男が参加した。くだらないながらか賭けは盛り上がって来た。老人は、初めの五回はバスの乗客に勝たせておいて、それから徐々に自分のペースに引き込んでいった。若い男は賭けに熱中し、かなりのお金をまき上げられたようだ。最後に自分が持っている時計と老人の全部のお金とで勝負しろと言い出した。他の四人は賭けを止め、みんながその勝負をみまも見守った。

若い男が腕時計をはずし、キャップのそばに置き、老人もあり金全部を腕時計の横に置いた。老人はキャップに白い玉を入れ、順番を入れ換えた。冷静に見ると真ん中のはずだか、それで今まで騙されていたのである。老人はどうぞ選んでください、と言わんばかりに若い男に不敵なほほ笑みを見せた。いかにも自信があるように私には見えた。若い男は初め、真ん中を取ろうとしたが、右側のキャップを選んだ。老人が開けようとすると、待てと言い、最終的に逆サイドのキャップを選んだ。老人はこれでいいんだなと念をお押し、若い男はうなずき、みんなが見守る中、若い男が選んだキャップを開けた。やじ馬であるわれわれから「アー」、「オー」という声がも洩れた。若い男はあわてて真ん中を開けた。そこに白い玉があった。勝負は老人に軍配が上がった。

運転手が、出発する時間だとわれわれに言いに来た。ほんの十分の出来事であったが、楽しませて貰った。あの老人はああして生活をしているのだろうか。お金、腕時計を取られた若者は運転手に、あれはいかさまだから、あの時計を取り戻して欲しいと言い出した。あの時計はドイツで四百マルク(約二万八千円)もしたんだ、となげ嘆いていた。

老人のあり金は全部合わせても十ドルはなかった。一ドル紙幣が三枚とギリシャのお金が少々、マルクが少しだけで、後は全部小銭であった。老人の方は大儲けである。若い男はバスに乗っても運転手に、あれはいんちきだと何度も言ったが、「いんちきに騙されるお前が悪い」と一蹴された。肩を落とし、自分の席に着き、近くの席のおばさんに慰められていた。(つづく・感想文をお寄せ下さい)