車は二百キロ走行を続けている。二百キロも出しているのに、ハンドルにぶれはなく、安定した走りであることに気づいた。さすがベンツということなのだろうか。そんなことを考えていると、時折り、われわれの車をいとも簡単に追い抜いて行く車があった。よく見るとスポーツ車タイプで、ゆうに二百キロは超えて走っているのである。これにもびっくりした。

デュッセルドルフまでの百キロの距離も、ほんの三十分で着いてしまった。このため、町中での走行は歩いているようにのろく感じた。レストランに到着したが、いかにも一流という感じで、入るのが怖いぐらいであった。そこで私は初めてフランス料理を経験することになる。時間をかけ、一つ一つの料理がゆっくり出てきた。味の方は勿論おいしかったが、私には、フランス料理は合わないと思った。料理の出し方や料理の量(私にとってあまりにも少ない)などからだ。私には日本の大衆食堂の方がよっぽど合っていると思った。でも、彼女を口説く時はこれだと思った。結婚プロポーズの場所としては最適だと思った。(それよりまず相手を見つけろと言われそうだが:)。

ドイツの滞在を終え、またバスでアテネに向かうことになった。なぜアテネに戻ったかというと、ギリシャでは日本への航空券がドイツの四分の一程度の値段で手に入るからだ。また、トルコにも絶対に足を踏み入れたかったからである。私がアメリカの大学で専攻(メジャー)したのは文学で、アメリカの大学ではこの他、副専攻(マイナー)という授業が設けられており、私の副専攻は歴史で、とくにヨーロッパ史とトルコ史を学んだ。だからトルコにはどうしても行きたかった。

さらにアメリカの大学でバイブル(聖書)を勉強していたから、新約の最後の本である『ヨハネの黙示録』に登場するパトモス島に強い関心があった。この島は地中海に浮かんでいるとても小さい島で、端から端まで五百メートルもなかった。三浦三崎の城ケ島ほどの大きさしかなかった。大波がきたら飲み込まれそうな島である。エッセンで友達と別れ、アテネ行きのバスに乗り込んだ。

ギリシア
パトモス
パトモス島の名は、新約聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくる。第一章九行目に「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と忍耐とにあずかっている者であって、神の言葉とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた」とあり、キリスト教の中ではとても重要な島なのである。

パトモス島に着いた翌朝、九時に目が覚め、食事を済ませ、さんぽ散歩に出かけた。家は百五十件ほどしかなく、小学と中学を合わせた学校が一つあった。山の上に古びた教会が立っているだけで、それ以外目立つものはなかった。その教会でヨハネは、トルコにある七つの教会エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに、これから起こるであろう出来事を、巻物に記して送ったところなのである。二十分で教会にたどり着いた。

ちょうど修理中で、立ち入り禁止の立て札があった。そばにいた人に、「私は日本からこの島の見学にやって来ました。ぜひ中を見せてくれませんか」とお願いした。するとその人は、現場監督を呼んで来てくれた。もう一度お願いすると、「気をつけて見るように」とOKしてくれた。しかし、見学といっても、本当に小さな教会で、十分も歩き回ったら終わってしまった。他に見るところもないので、島中を歩き回ったが、端から端まででも三十分はかからなかった。

次に訪れる予定のロドス島への船の出発時間を確認をしようと旅行代理店を探した。トラベルという看板を見つけ、中に入り、私が持っているロドス島までの切符は有効かと尋ねた。答えは、有効ということでひとまず安心した。ところが、翌日の船の出港時間を聞くと、「明日、ここに来る船はないよ」という返事。二日に一便だった。その夜にでも島を出たかったのに、後丸二日もいなければならないなんて、と憂鬱になってしまった。さらに悪いことに、二日後に来るはずだった船が悪天候のため、来られなくなってしまった。島の港の入り口がアルファベットのC文字の形になっているので、悪天候の時は入港できない、と言うのである。

結局、パトモスには五日もいるはめになってしまった。何もすることがなく、港で日なたぼっこをしたりして過ごした。ほとんどの人は英語が話せず、会話もなかった。特別美味しい料理もなかった。
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