予想だにしなかったパトモス島での足止めに、くだらないことがいろいろ頭をよぎった。一生ここで暮らさなければならなくなったらどうしよう、日本に帰ってからのこと、将来のことなど、結論が出ないようなことばかり考えていた。とにかくあの五日間は一ヵ月にも匹敵するほど長く感じた。五日目、入港して来る船を見た時、これで救われたという気持ちになったものである。

ロドス島
ロドス島には午前十時に着いた。天気もよく、豪華なヨットが多く、高級そうなマンションやレストランなどが船から見えた。私が昔風の雰囲気、と想像していたロドス島のイメージとは全く違っていた。島に足を踏み入れると、どこか高級リゾート地に来たような気分になった。英語で全てやり取りができた。ホテルは、シーズンオフということもあり、いいホテルが通常の半額の料金で泊まることができた。チェックインをしてから散歩に出かけた。南の方へ向かうと町並みがだんだん古びてきて、中世の世界がそこにはあった。高さが二十メートルはあるであろう城壁に囲まれた町が造られていた。敵からの攻撃に備えていたものらしい。そこで多くの人が生活をしていた。通路は迷路のようだったので、油断をすると迷ってしまいそうだった。

再び中心街に戻る。城壁に囲まれた町が嘘のように賑わっている。お土産店の中で面白いものを見つけた。五センチほどの真っ黒な人形で、胴体に一の大きな男性器がついていて、それを両手で持っている人形だった。日本のどこかにも、石の男性性器の像があったと思う。それに触れると不妊の女性が妊娠するという言い伝えがあるとかないとか。この人形も何か言い伝えがあるのだろうか。

町は夜が近づくと観光客で賑わってきた。私は、近くの公園でサッカーをやっていたので、一時間ぐらい見てから映画館に入り、ホテルには九時過ぎに戻った。それで一日が終わった。次の日はロドス島第二のリゾート地、リンドスへ向かった。南へ六十キロのところに位置し、丘の上にアクロポリスの遺跡がある。丘のふもとには白い家が並んでおり、海岸が続いていた。バスで一時間三十分かかった。第二のリゾート地といってもそれほど素晴らしいところではないが、白いいえな家並みはきれいであった。丘の上の遺跡は大したこともなかった。
歩き疲れたので道端で腰を下ろし、朝買ったパンをかじっていた。飲物が欲しくなり、店を探していたら、水道を見つけ、安易に飲んでしまった。すると五分後、お腹がゴロゴロいいだし、激しい痛みにおそ襲われた。トイレに行きたくなったが、見つからなかった。油汗がしみでてきた。坂の下に海岸がえたので、全速で下って行った。人目が気になったがこらえきれなくなり、海岸の端の岩場のところで、してしまった。げり下痢で三十分も立ち上がれなかった。しかも岩場でお尻をす擦りむくし、お尻の穴はひりひり痛むし、とんでもない目に遭った。

ちり紙など気の利いたものは持っていなかったので、地中海に飛び込みお尻を洗った。するとまたおなかがゴロコロ。地中海にごめん御免なさいをして、再びしてしまった。海はとても冷たかったが、とてもきれいで、透き通っていただけに、罪悪感にさいなまれた。

トルコ
トルコの幽霊
ロドス島からトルコの南部マーマリスに入った。船で二時間はかからなかった。マーマリスはロドス島同様のリゾート地のようで、豪華なヨットが並び、町は賑わって、雰囲気が大変よかった。私はマーマリスから海岸線を通って北上し、イスタンブールへ向かう予定でいた。本当は二週間ほどトルコに滞在し、あちこち見て回りたかったが、アテネでのストやパトモス島で時間を大幅にロスしており、十日間に短縮せざるを得なかった。

入国審査を終え、近くの銀行でお金を交換し、長距離バスの出発場所を探した。十分歩いたところにあり、人でごったがえしていた。私はガイドブックを見て、まず、ミトレスへ向かうつもりでいた。しかし、横に座っていたおじさんに、「このへんで見ておいた方がいい場所があるか」と聞くと、おじさんは私が持っていた地図の一ヵ所を「ここだ」と指した。

名前は忘れてしまったが、ガイドブックにも載っていないところであった。別のおじさんもそこには行った方がいい、と勧めるので私はそこに行くことにした。マーマリスからのバスは、日本では九人乗り用のワゴンタイプの車を、一回り大きくした車で、三十人も乗っていて、ぎゅうぎゅう詰めだった。バスの屋根にはいろいろな荷物が積んであった。停留所はなく、降りる人は声を出し、乗る人は道端で待っているだけであった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)