バスの中で一人のアメリカ人と知り合った。彼も私と同じ場所を目指していた。私はどういう所なのか興味津々だった。マーマリスから一時間半かかった。そこには大きな岩盤状の山が連なっており、その岩盤状の山にその土地の王様の墓が掘り込まれていたのである。

数メートルの間隔に墓がたくさんあった。その墓を見物した。近くにいた現地の人が私達二人に近づいて来て、ボートで見物しないかと勧めた。値段を交渉して、0Kとなり、約一時間のボートでの見物を楽しんだ。数限りない墓が岩盤に掘り込まれていた。海岸に戻ると、ここは亀が産卵に来ることでも有名だと話してくれた。ガイドブックには載っていなかったが、いい穴場ではあった。

時間は四時を回っていた。最終バスは四時三十分だった。泊まるところもなさそうだったので、私達二人はバス停に戻ることにした。すると現地人が、民宿を始めるため家を改築しており、まだ完成してはいないが、泊まる部屋はあるから、どうかと勧めてきた。アメリカ人は「ノー」と断ったが、私は少し考えた。「初めての客が日本人だと縁起がいい」とおだてられ、私だけ残ることにした。アメリカ人とはそこで別れた。
 現地人の家は歩いて五分ほどのところにあった。一階建てで、部屋が四つあったが、四つともまだ完成していなかった。

その中の一番まともで、広い部屋を貸してくれた。料金は千円以下だったと記憶している。べッドが窓側にぴったりくっついており、電気スタンドがあるだけだった。私はシャワーを借りてから散歩に出かけ、食事をすることにした。食事はとても安く、とても新鮮でおいしかった。七時ごろには部屋に戻り、やることもなく、ガイドブックを見ながら、翌日の予定を考えていた。ミトレスに向かうつもりだったが、変更してパムカッレに行くことにした。

九時過ぎには眠りに入った。すると、三時過ぎに、誰かが入って来た気配がした。しかしドアが開いた感じはしなかった。意識ははっきりしていた、と今でもそう思っている。起きようと思ったが起き上がれなかった。手や腕、首も全く動かない。夢かなと思った。それにしてもあまりにも意識がはっきりしている。その時、これはかなしば金縛りだと思った。私の右膝あたりに、人気を感じた。するとそこに全体像はぼやけていたが、確かに人影のようなものが立っていた。私はここが、歴代の王の墓がある町だということを思い出し、まさか、と思った。

その人影は私に手を差し出してきた。私は出された手をつかもうとした。しかし、手は動かなかった。すると、その人影が一歩前に進み、はっきり聞き取れなかったか、私の名前を呼んだように聞こえた。私の名前は喜久(よしひさ)で、その人影がヨシ:(ヨシヒサとまでは聞き取れなかった)と呼んだように思えた。しかし今となってはヨシ:と言ったかどうか自信はない。

国際電話
そうこうしているうちにその人影は消えて、金縛り状態もと解けた。今のは何だったのかと考えていると、私を名前で呼ぶのは、おふくろ袋だと思い、まさか、お袋の身に何かあったのでは、と不安になった。そう考えるといても立ってもいられず、翌朝、朝一番で電話を探した。しかしその町には国際電話をかけるところはなかった。いらだった。朝起きるとすぐバス停に向かおうとすると、泊めてくれた家のご主人が近くのメインのバス停留所まで車で送ってくれると言う。ご好意に甘えた。

バスの大きな停留所があり、そこからはトルコ全土、どこへでも行けるということだった。それなら国際電話がかけられるだろうと思ったが、そこでもだめだった。しかもバスの出発が二時間後だと言われ、気が焦るばかりであった。

近くでお祭りのように賑わっているところがあった。焦っていたが落ち着かせよう、心配を紛らわせようと、少し覗いて見ることにした。そこでは、ラクダのレスリングが行われていたのである。二月の上旬ごろにこのラクダレスリングが行われるそうだ。二頭のラクダが、首と首をぶつけ合い、どちらかの頭が地面についたら負け、という競技らしい。特別に凄いとは思わなかったが、お金を賭けている人もいるようで、多くの人が熱狂していた。

ようやくバスの時間がやってきた。四時間後、目的地のパムカッレに到着。私は急いで国際電話が出来るところを探したが、ここでも見つからなかった。全く何という国だろう思った。これからどうしようか考えていると、十歳ぐらいの少年が「泊まるところは決まっているのか」と突然聞いてきた。私は「ない」と答えると、「うちは宿を経営しているので泊まってくれ」と頼む。あまり冷静に考えられる状態ではなかったので、安易に0Kの返事を出してしまった。部屋はまあまあで値段もそれほど高くはなかった。
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