パムカッレとはトルコ語で「綿の城」という意味。壮大な石灰棚が大地に広がっている。この石灰棚は台地の上部から流れ出る石灰成分を含む湯が時を経て結晶し、台地全体を覆って出来たものであり、棚のところどころに温泉水がたまった池があり、夏になると泳げるという。(『地球の歩き方、イスタンブールとトルコの台地』編を参考)。入場料を払い、パムカッレ遺跡と石灰棚を見物した。ペレガモン王国やローマ時代の遺跡、ギリシャ文字で書かれた古代の墓などもあった。

石灰棚は、本当は素晴らしいものなのだろうが、私は心ここにあらず、という状態で冷静に見ることが出来なかった。石灰棚は真っ白で、遠くから見ると、そこだけ雪が降ったように見えた。部屋に戻ってから、近くのレストランに行き食事をした。そこでも国際電話のあるところを聞いたが、誰も分からなかった。警察官に尋ねても分からず、もっと大きな町に行かなければ、国際電話はかけられないよ、と年配の紳士に言われた。食事を済ませ、再び電話を探し、九時ごろ部屋に戻って来た。ベッドに横たわっても、落ち着かず、眠ろうとしても眠れず、部屋の電気を消すのも怖かった。この宿の人なら知っているかも知れないと思い、聞くことにした。

私をここに勧誘した、少年が母親とテレビを見ていた。私の問いに「ここから三十分歩いた先に電話局があるから、そこに行ってご覧なさい」と言われた。今まで誰もその電話局のことを話してはくれなかった。しかし、それもそのはずで、電話局は外国人しか利用しないというのである。九時をすでに回っていたので、危険かなと思ったが、どうしても気持ちが納まらなかったので、行くことにした。大通りだったので、危険は感じなかった。古びた建物だった。そこが電話局だと近くの人に確認し、電話局に入っていた。

二百円で五時間
電話局は、夜十時近いというのに人がたくさん並んでいた。そこにいた若者に、どうすれば国際電話がかけられるか尋ねると、「コインを買え」と教えてくれた。彼はとても親切で、私の後ろに並び、電話局の係の人に話をしてくれた。私は日本円で二百円程度のトルコのお金を出し、コイン六枚を手に入れた。だが、係の人は「国際電話がかけられる電話機は少ない」と言われ、「何何タイプの電話機なら、国際電話がかけられるはずだよ」と言った。私は何が何だか分からずいた。

するとその若者が「その電話機のあるところを知っている」と言う。「教えてあげる」とつけ加えた。不安だったが、着いて行ってしまった。二十分は歩いただろう。若者は日本の団地のようなところに入って行った。人気もなく、しかも暗いところだったので、不安が急に高まり、逃げ出そうと思った。すると、若者が立ち止まり、「この電話機だ」と指した。電話局の係の人の話が正しければ、この電話機で国際電話が出来るはずだ、と彼は言った。

電話機を見るとぼろぼろで、数年間、誰も使っていないのではないかと思わせるほど古かった。暗闇だったので、彼がマッチをすってくれ、私はコインを入れた。するとプーという音が出できた。使用出来るのかなと思い、不安ながら日本の国番号(81)を回し、次いで市外局番、自分の家の電話番号を回した。すると受話器の向こうで番号を読み取っている音が聞こえ、二十秒ほどしたら、呼び出し音が鳴り出した。呼び出し音が五回鳴ったところで、受話器の向こうでお袋の「もしもし」という懐かしい声が聞こえた。まさかと思った。しかも、直通で通じてしまったのである。

普通、かけた方がお金を払う場合、小銭をいっぱい用意しなければならない。コレクトコール(相手払い)だと、オペレーターが間に入り、相手のどうい同意を得てから話をすることになる。しかし、その時は、トルコー日本間の電話が
コイン一枚で直通で通じてしまったのであった。私は前夜見た夢を話した。

お袋はいたって健康であったので、一安心ではあった。お袋は、「二時間前に洋子さんという人から電話があり、お前の住所を聞かれた」と話した。

親しかった女性の自殺
洋子さんというのはアメリカ留学時代、短い期間ではあったが、同じ学校にいて、しかも、彼女は横須賀出身ということもあり、なかよ仲良くしていた。その洋子さんがお袋に、「アメリカ留学時代の共通の友達だった女の子が自殺をした」と告げたという。私は誰のことだろと思い、お袋に尋ねたが、名前は聞いていなかった。お袋がメモしていた洋子さんの電話番号を教えて貰い、ダイヤルした。(感想文をお寄せ下さい)