アルミテス神殿、ヨハネの墓があるといわれる聖ヨハネ教会、遺跡からの出土品が二万点以上ある考古学博物館、二万四千人は収容できたという直径百五十四、高さ三十八メートルのトルコ最大級の劇場、建物の内部に神々や動物などがたくさん彫られ、描かれているハドリアヌス神殿、その隣でたくさんの像が発見されたというトラヤヌスの泉、市民会議がしばしば開かれたというオデオン、聖母マリアがキリスト亡き後余生を過ごしたと言われている聖母マリア教会など…。全てを見て回るのに丸一日かかった。次の日に七つの教会を見て回ることにした。

道順をバスの運転手に尋ねると、七つはばらばらに位置しているので回るのは大変だと言われた。そばで私達の会話を聞いていたタクシーの運転手が、「おれ俺が案内してやる」と言い出した。料金を交渉すると、一万円ということで話がまとまった。三時間は走っていたから、一万円では安かった。それはともかく、七つのうち四つの教会は山の上に建っていた。建っていたといっても、建物はほとんどなく、ここにあったであろう、といった程度のもので、七つの教会全てがあいまい曖昧であった。七つの教会巡りは期待はずれのものだった。

国民的女優からサイン
一つだけちょっとしたハプニングがあった。映画の撮影現場に出会ったのである。運転手は「あの女優はとても有名だ」と言って指さした。倍償千恵子風の女優だった。二十分ほど見物していると撮影が休憩となり、運転手がわれわれも休もうと、女優が入った同じレストランに入って行った。運転手はその女優のサインが欲しいようだったが、緊張して行こうとしない。私が大丈夫だよと言っても「国民的女優なので:」と口ごもってしまった。

私はうじうじしている彼の姿を見て、立ち上がり、彼女のところに行き、「友達がサインを欲しいと言うので貰えませんか」とたの頼んだ。彼女は英語が分からなかった。そばにいた男が、「あなた貴方はどなたですか」と聞くので、自分は日本人で今トルコを旅行中だ、と説明した。男が、私が話したことを彼女に伝えると、彼女は快くサインをしてくれた。彼女は男のつうやく通訳で、私にトルコはどうですか、と聞いてきた。私は一言「素晴らしい国です」と答えた。彼女はいつか日本に行ってみたい、と言った。最後に「お会いできて大変うれしいです」と言い合い、私は運転手のところに戻った。

運転手に、貰ってきたサインを渡すと、信じられないという風にそれを見つめていた。そして「凄くだいたん大胆だね」と驚いているので、「私にはただのおばさんにしか見えなかったよ」と軽く答えた。「おごるから何でも飲んでくれ」と運転手。何を飲んでも、といっても全てジュース類。これではきまえ気前がいいとは言えないと思うが、トルコでは凄く気前がいいことなのだろうか。私は遠慮なく、リンゴジュースを二杯ごちそうになった。

三十分ほどそこで休み、次の教会に向かった。教会の跡地はともかく、エフェスの周りは素晴らしかった。一週間滞在し、古代を満喫したかったが、二日間滞在しただけで、翌朝一番でイズミールに向かった。

少年が宿を勧誘 
エフェスから二時間で到着した。小学生ぐらいの子供達がたくさんいて、バスから降りてくる人達に何か声をかけている。私はローマのことを思い出し、いやな気分になった。しかし、この子供達は、宿を勧誘していたのである。自宅を宿にして収入を得ている家の子供であった。私はそのうちの一人の誘いにのり、彼の家に向かった。ごく普通の家で部屋はまあまあであった。荷物を置き、私は早速市内見物に出かけた。イズミールはエフェスとは全く違い、観光の拠点で高級ホテル、ブディックなどの店が並んでいた。

歴史的にはイオニアのしょくみんち植民地で、ローマ時代にキリスト教が入り、商業都市の一つとしても栄え、その名残りが今でも残っている。
エーゲ海に面し、日本でいうと横浜か神戸といったところ。考古学博物館、古代アゴラ、カディフェカレ城遺跡(ここからはエーゲ海が一望できた)が素晴らしかった。食事を済ませ宿に戻ったのは七時。シャワーを浴び、テレビをひねり、一時間ほど見ていると、私を宿に誘った少年が、一番上の兄のじゅうたん絨毯の店に行かないか、とさそ誘いに来た。私はOKし、少年について行くと、十分ほどで、その店に着いた。私を連れてきた少年は、用事があるからと言って姿を消した。店には少年の兄という人ともう一人、子供のような店員がいた。兄という男が、日本人もよく買いに来るよ、と話を始めた。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)