イスタンブール
いよいよイスタンブールに入った。バスは、ボスボラス海峡にまたがっているボスボラス大橋を渡った。市内を見渡すと、そこには不思議な風景があった。昔の建物と近代高層ビルが妙にマッチしていた。最終駅のトプカプバスターミナルに到着した。ここは全くの旧市街だった。バスが数十台も並んでいて、トルコ各地から集まっているようだった。

私は市内地図を買い、イスタンブール市内を目指そうとしたが、どのバスに乗ったらいいか分からなかった。人に聞こうとしたが、みんないそがしそうにしていて、聞くことをためらった。地図を頼りに市内に向かって歩き始めた。方向は間違っていなかったが、三十分歩いても旧市街から抜け出せなかった。バス停があり人が並んでいたので、思い切ってバスに乗り込むことにした。バスが走り出して五分ほどすると歩道の人が多くなり、高層ビルが見えてきた。私は多くの乗客が降りたバスの停留所で一緒に降りた。ちょうどいいところで、歩いて十分ほどでユースホステルがあった。チェックインを済ませ、市内に飛び出した。

フェリーに乗りボスボラス大橋を見上げた。この橋はまさにヨーロッパとアジアのか架け橋であった。ヨーロッパとアジア文化の分岐点がイスタンブールなのである。ブルーモスクや博物館、宮殿、オスマン帝国に関するものなど、二日間、フルに回っても全てを見ることが出来なかった。残念なことにお金に余裕がなく、トルコ風呂に入れなかった。ある宮殿にもあったが、大理石の風呂で、美人がマッサージをしてくれるそうだった。

それをまねて日本でトルコ風呂(現ソープランド)と呼ばれるHをするところが出来たが、トルコでは純粋にリラックスするところである。

再びギリシアへ
移民局で五時間待ち
バスでイスタンブールからアテネに向け、夕方四時に出発した。約二十時間でアテネに到着すると言われた。六時間ほど走ってトルコ移民局に到着した。手続きは十分もかからなかった。次にギリシアの入国審査が始まったわけだが、それからが大変だった。全員バスから降ろされ、五列に並んで荷物検査。入念に調べられ、かなりの時間を要した。パスポートに不審な点がある人は部屋に連れて行かれた。真夜中に外で調べられたのでとても寒かった。

私の番になり鞄を開けた。イスタンブール市内で買ったガラスの額に入った十枚の美しい絵があった。ドルで払う、というとかなり安くしてくれた。その絵に目をつけられた。係官は無造作に五枚を取り出し、ドライバーで開けろ、と言うのである。二十分ほどかかって開けると、「よろしい」と言い、次に私が買ったジャケットに目をつけた。いくらで買ったか聞かれ「二十ドルだ」と答えると、絵とジャケット全部に支払った金額まで聞いてきた。そして、持っているお金を全部出せ、と言われた。

人前では恥ずかしかったが、パスポートから現金の日本円とドル、ベルトからやはり円とドル、ジーンズの裏ポケットからドル、上着の裏ポケット、靴、鞄の底からトラベラーズチェック、最後にバイブルから円とドルを全て取り出した。

ここでごまかして、後で調べらればれたら、二日後の日本への飛行機に乗れない、と判断したからである。こうして私はOKを貰ったのだが、全員のチェックが終わるまで四時間はかかったろう。バスに乗り込み、部屋に連れて行かれた人、チェックに引っかかった人を待っていると、待つこと一時間、係官がやってきて、運転手と何やら話をし、調べが続いている五人の荷物を持って行ってしまった。バスは五人を待たずに出発した。

私達が到着した十五分後にギリシアからやって来たバスも、同じようにトルコ入国に五時間はかかっていた。運転手はいつもこうで、お互いいじめあっている、と言うのだ。そして「このバスで五人入国できなかったので、トルコ側も五人の入国を認めないのではないか」とも言っていた。われわれ日本人には信じられないことだが、国同士で子供みたいなことをしているんだなと考え、外交問題の解決の難しさを実感した。
ギリシアに入国した時にはすでに太陽が顔を出していた。数時間後、テッサロニキに到着した。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)