イラン人を指さして「お前達のミサイルや砲弾でわれわれの友や親、親類が死んでいる」と、気持ちを抑えられずに声を張り上げ、興奮した状態で話した。われわれ日本人七人はただ話を聞いているだけだった。

言われっぱなしのイラン人は、「あの戦争はイラクのせいだ。われわれイランが戦わなければ、中東の秩序が保てなかったからだ」と反論した。戦争など全く縁のない日本人にはじっかん実感が沸かないが、戦争の渦中で、兵士が女性をレイプしたりごうとう強盗を働くなど、戦争という名の元でやりたい放題、というケースも少なくないようだ。当時、クエート人はイラン・イラク戦争の火の粉をかなり浴びたようである。

イラン人とクエート人の論争が過激になり、われわれ日本人はどうなるか心配したほどだ。先生は冷静に状況を見つめているだけだった。論争がとぎ途切れた時、あるアラビア人が先生に向かって「なぜアメリカは介入しないのか」と尋ねた。当時、レーガン大統領は、アメリカは世界の警察だと言い切っていたからだ。

しかし先生は、「そう簡単に他の国のことに口出しはできない」と答えた。そして日本人の一人を指さし、日本人から見たらどう思うかねと尋ねた。彼は一言「分かりません」。次の日本人も同じ答え。次もまた同じ。とうとう私の番になった。私は「イラン・イラク戦争は一種の宗教戦争で、お互いの神が相手をはいじょ排除せよと言っている。われわれ日本人は宗教ということについて、ヨーロッパや中東のような環境の中で育っていないので、宗教戦争は理解できない」と答えた。当時の私はその程度の内容しか発言出来なかった。「分かりません」よりましかも知れないが、なんともおそまつな回答だった、と今思う。

戦争について
ここでついでと言っては何だが、戦争に関し私の考えを述べてみたい。ユーゴ(ヨーロッパを旅行した時、私はユーゴをバスで旅した)のないせん内戦やカンボジアなど、人が人を殺すという戦争は何なんだろう思う。やはりキリストが言うように、人間とは生まれながら罪を背負っている存在なのだろうか。これから世の中は千年、二千年と続くだろうが、人間同士が殺し合わない世の中がくるのだろうか。いな否、人間が存在する限り、無理だろう。

今でもあのクエート人が、イラン人と論争していた姿を思い出すことがある。日本人にはとうてい理解できないことかも知れない。よく言われるが、われわれ日本人の姿勢はこれでいいのかと。私自身もよく分からずに書いているが、こういうことは、われわれ一人一人が考えるべきで、政治家だけが日本のあり方を決めるというのはどうかと思う。

カナダへラーメン食べに
さらに英語学校時代のこと。カナダのバンクーバーは、シアトルから車だと四時間ほどで行ける距離にある。三時に授業が終わり、学校の事務の人に「これからカナダに行きたいのだが」と頼むと、すぐにサイン入りの書類をくれ、簡単に行くことができた。アメリカ滞在中、私は五回ほどバンクーバーへ行った。行ってみる価値のある街だと思う。

それはさておき、ある金曜日の午後七時ごろ、友達の一人に「バンクーバーにラーメンを食べに行きませんか」と誘われた。シアトルでも食べたいと思えば食べられるが、三ヵ月もラーメンを食べていないし、バンクーバーにも行きたい、と心が傾きかけた時、私は証明書を貰っていないことに気づいた。「私は行けないよ」と言ったものの、たまたま二週間前に貰った証明書があり、そのことを告げると、「それで大丈夫です」と言われ、結局行くことにした。

七時にシアトルを出て、十一時にバンクーバーのチャイニーズレストランに到着。特別うまいラーメンではなかったと記憶しているが、久し振りということもあり、ちょっとした感動を持ちながら食べたものだ。たかがラーメン、されどラーメンである。レストランを出てから、ホテルをチェックイン、一泊。翌日はロッキー山脈を見ながら帰って来た。時間とお金のかかった一杯のラーメンだったが、私の一生の記念になるラーメンではある。もし私が再度バンクーバーへ行く機会があったら、あのレストランにはもう一度立ち寄ってみたい。

カンボジア移民者
英語学校時代。初めの三ヵ月は、アメリカの家族と一緒に生活をしていたことは前に述べたが、その時、一人のカンボジア人と出会った。彼との出会いは今、アメリカについて書いている原動力になった、と言っても過言でない。もし彼に会うことがなかったなら、単にアメリカでの生活を経験したというだけで、アメリカを学ぼうとは思わなかったに違いない。
 (つづく・感想文をお寄せ下さい)