私は、大人のどろどろしたところを二十歳にして覗いてしまった。私は三週間後に、このアパートを出た。幸司さんは、私がアパートにいる間には戻って来なかった。私はその後、大学の寮に移った。大学入学当初、私は、まめに真理子さんに電話を入れていたが、日が経つにつれ電話の回数が少なくなった。その後、真理子さんも引っ越してしまった。学校に問い合わせたら、シアトルから一時間ぐらいのところの英語学校に転校したとのこと。その後、私の方から連絡をすることはなかった。二人がどうなったかは知らないが、風の便りによると幸司さんは戻って来なかったらしい。その後、真理子さんはアメリカ人と結婚したと聞いた。

真理子さんの妹
ところで、この出来事で私が一番こころのこ心残りだったことは、真理子さんには十歳年下の妹がいて、私に紹介してくれる約束だったが、それが実現しなかったことである。写真を見せて貰ったが、なかもり中森明菜風で、写真うつりがいいということを割り引いても、とにかくかわいかった。偶然、その妹から真理子さんに電話があり、私も十分ほど話しをさせて貰った。声も抜群にかわいかった。当時、彼女は筑波大学の二年生で、夏休みにハワイへ行くから、ハワイで合流しないかとさそ誘われた。

幸司さんと真理子さんは行く予定だった。私は悩みに悩んだ。お金の問題もあるし勉強のこともあったから。真理子さんは私が悩んでいるのを面白がって、「妹は、ヨシ(私はこう呼ばれていた)みたいな人がタイプなのよ。勉強もスポーツも一生懸命やる人が好きみたいよ」と私をあおった。真理子さんの話では、彼氏はまだいないらしい。筑波の学生はもやしっ子みたいのが多いからだそうだ。(私が言ったのではないよ)。

ハワイ行きに傾く
ハワイ行きを考える日々が続いた。心が八○パーセントぐらいハワイ行きに傾き、ハワイで使うお金をどうセイブしたらいいかなど、考えた。外食は控えめに、マクドナルドでは必ずポテトは小にし、マックシェイクは一年間頼まない、映画もみ観る数を減らし、本代(月二百ドル)を百五十ドルぐらいに減らす、自転 車を買いバス代を節約することなどなど。十数項目にわたり、きめ細かい計画を立てた。それから一週間、かく格やす安チケットを新聞で探す日々が続いた。五社ぐらいに的をしぼり、電話をし始めた。その矢先に、例の電話がかかってきて、全てがパーになってしまった。本当に真夏の夜の夢である。それだけが心残りで仕方がない。大人のどろどろした世界をみていやけ嫌気がさしたことより、私にとってはかわいい女性に会えなかったことの方がショックで、二週間ほど立ち直れなかった。

トッフルで五百二十三点
そんな嫌なことがあったが、私のアメリカでの大学入学に道が開くという、うれしい出来事もあった。英語学校での生活も四ヵ月が過ぎようとしていた。このままこの(日本人)中で勉強していても英語のじょうたつ上達はみこ見込めないとはんだん判断し、思い切ってトッフル(英語を母語としない人のための大学入学資格試験)を受けることを決意した。これは、外国人であるわれわれが、大学に入学するために必ず受けなければならない試験である。このテストのことは以前から知ってはいたが、日本人の平均点が四百点ぐらいだと言うことを聞いていたので、それまで受けなかった。大学にもよるが、入学するには最低五百点が必要とされていたからで、私は五百点以上取るのは到底無理、と考えていた。ところが思い切って受けてみると、何と五百二十三点を取ることが出来た。

早速、この点数を持って各大学にあたった。最初、近くにあり、最も難しいと言われていたワシントン大学(後に大学院に入学することになる)を訪れ、大学側と話し合った結果、すんなり入学OKが出てしまった。とてもあっけなかった。友達は凄い、とまるで自分のことのようにはしゃいでいたが、私は余りのあっけなさに気が抜けたほどだ。次々に大学を回ったが、すべて入学OKだった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)