アメリカ人の挨拶のことで友人と話したことがある。「アメリカ人って愛想がいいね」と私が言うと、彼は「ああいう態度を取るのがアメリカ人なんだよ」と答えた。「一見友好的に見えてもその場限りのものだよ。俺はああいうアメリカ人の態度は好きではない」とも言った。私は、そんなものかと思った。アメリカ人の挨拶は、イタリア人がきれいな女性を見て、声をかけないのは相手に失礼だ、と考えるぐらいの形式的なものなのである。

 後のことだが、ハワイに寄って日本に帰国したことがあった。
ハワイできれいな女性に「ウエルカム トウ ハワイ」と声をかけられ、キスされた。それも唇ということもあり、私は二日間、上機嫌であったことを覚えている。こんな私なので、偉そうなことは言えないが、日本人は西洋人、しかも美しい人に弱く、彼女らに挨拶されると、骨が抜けたようになってしまう。日本人男性はもっと西洋人女性に強くならないといけない、と自分自身に言い聞かせている。

学期が始まった。たいした日常会話ではなかったのだろうが、アメリカ人の言葉が非常に速く聞こえ、何を言っているのか分からず、講義についていけるだろうか、と不安が先走った。大学がキリスト教系ということもあった。キリスト教については、世界史で習った程度の知識は持っていたが、教義や信仰については全く知らない私だった。無知を物語っているエピソードを紹介する。

おつりを取ろうとして
キリスト教の大学ということで、毎日三時間目に、チャペルというお祈りの時間があった。その時のことだが、祈りの時間終了十分前ぐらいに金色の円形の器が回ってきた。きふ寄付ということらしい。その時自分のさいふ財布には、何と二十ドル札一枚と二十五セント二枚ぐらいしか入っていなかった。周りのみんなを見ると、二とか三ドル、五ドル、中には十ドルも入れている人がいた。貧しい生活をしていた私にとって、二十ドルは一週間分の生活費だった。だからそれを全て献金するわけにはいかなかった。

しかし、何せ初めてのこと、入れなければ「この罰あ当たりめが」と言われるんじゃないかと心配になり、どうするか悩んだ。小銭を入れている人がその時は偶然いなくて(本当は小銭でもOK)、脂汗がしみ出てくるほどだった。間もなく金色の器が私の方にやってくる。悩んだ末の結論は(その時、自分ではまんざらではないと思ったが、知らぬということは本当に恐ろしい)、二十ドルを入れ、その器の中のお金をおつりとして貰おう、そう決めたわけである。器が私の膝の上に回ってきたので、そのアイデアを実行した。

二十ドルを入れて十八ドルを取ろうとした瞬間、隣の人がびっくりした口調で、「お前は一体何をしようとしているんだ」と言った。周りの人も見ていたらしく、例のアメリカ人独特のオーバーなジェスチャーで「何てこった」とか、「どうしたことか」などとどよめき始めた。

私の後ろで一部始終を見ていたかわいい女の子(マリア、後にいい友達になる)が説明してくれた。その器の中のお金はもう人間のお金ではなく、神様のものだ、と言うのである。だからそのお金にわれわれ人間は触れてはいけない、とマリアがまがお真顔で説明する。私は、とんでもない場所に来てしまったと後悔した。私はそんなに馬鹿げたことをしているわけではない、と反論しようと思ったが、英語に自信がなかったので、「とても勉強になった」と言ってその場を逃れた。私の二十ドルと他のお札が入った器は、次々と人の手に渡って行ってしまった。私は、彼女に振られさび寂しく一人取り残され、その彼女の後ろ姿をボーと見つめているような心境で、私の一週間分の生活費が入った器を見送った。

寮生が私のために祈り
そのチャペル事件の夜、三人の寮生が私の部屋にやって来た。英語がろくに理解できなかった私に、二時間もこんこんと話し、帰り際に私のために祈ろうと言い出した。三人は私の頭、肩、胸に手を置き目をつぶり、十分ほど呪文のようなものをとな唱え始めた。私にとって初めての経験で、とんでもないところに来たもんだ、と再びく悔やんだ。三人は部屋を出て行った。私は、ここでやっていけるんだろうか、という不安と焦りが同時に襲ってきて、動揺を隠せなかった。そんな私のところに、前の三人が出て行って五分も経たぬうちに、また別の三人がやって来た。前の三人と同じ話をし、帰り際に私のために祈ろうと、三人は私の頭、肩に手を置き、手を握り、十分ほど、例の呪文らしきものを唱え出て行った。
 (つづく・感想文をお寄せ下さい)