すでに夜中の二時を回っていた。やっとベッドに入れた私は、寝ようと努力したが、その後の不安や目に見えない恐怖が頭をよぎり、結局眠ることができず夜明けを迎えた。散歩でもしようとベッドから起き出し、部屋を出ると、またまた立ちくらみがするような光景に出くわした。朝の五時半だというのに、数人が集まって何か呪文のようなものを唱えているではないか。その時口をついて出た日本語が今でも忘れない。「あじゃ」という悲観的な感情をすべて含んだ溜息だった。すがすがしい朝のはずなのに、私の気持ちは、言葉では言い表せないほどブルーであった。

裸で寝るアメリカ人
下世話な話だが、大学に入学したてのころの寮での経験。アメリカ人の中には、パジャマを着ずに裸で寝る人が多かった。私のルームメイトもその一人だった。男性諸君に一つ質問をしょう。「自分がHな人間と思う時はいつか」。私の答えは「毎朝」。男性諸君はすぐに理解できるだろう。女性には少しだけ説明しなければならないだろう。男性というのは心や理性に関係なく、素直に形で感情が読み取れてしまうことがある。すなお率直に言ってしまうが、男性の性器というのは言葉や理性にしばられず、素直なのである。ほとんどの若い男性は、なぜか朝になると、直立している。(年配の人は分かりませんが)。

大学生と言えば、十八から二十二歳の若者の集まりである。彼らアメリカ人もそういう状態(性器直立不動)になっているはずなのに、全然気にしないで、ベッドから起き出し、シャワーを浴びる。私はと言えば、目が覚めて性器直立不動状態をだは打破するために五分ぐらいベッドの中でもじもじしていたものだ。友達が寝ているベッドの近くに行くと、性器直立不動のため、毛布がテント状態だからおもしろ面白い。しかし、一ヵ月もすると慣れてしまった。しかも、友達にパンツをはくのは健康に良くないと言われ、私も裸で寝るようになった。そして、直立不動のためのもじもじもしなくなった。今、直立不動状態で八人ほどの男がシャワーをあ浴びていた光景を思い出し、思わずにやついてしまう。

マスタベーション
私はキリスト教徒ではなかったので、彼らの性器直立不動状態を指さし、キリストの教義に反しており、神を冒涜していると言ってからかった。というのも、新約聖書にこう書かれている。「美人をみて、きれいと思えばお前は心で姦淫している」と。つまりキリスト教徒は、変な目で女性を見てはいけないのである。いやらしさついでにつけ加えておくと、彼らはマスタベーション(自慰行為=オナニー)をしないことになっている。教義の上ではね。

ではなぜか。詳しくは旧約聖書の創世記三十八章九節を読めば分かる。オナンという男性(これがオナニズムのごげん語源)が、神の意に反する行為をした。キリスト教徒の間では彼の行為に批判的なのである。私のところに来れば、詳しく教えてあげるよ。ちょっと柔らか過ぎたかな。アメリカ的ではあるがね。

それはさておき、アメリカに着いた時の感想は、「全てがでかい」だった。私がシャワー室に行くと、すでに一人の寮生がシャワーを使用していた。そしてさあシャワーを浴びようとし、なにげなくその男の股間に目がいった。何か長いものが、時計の振り子のようにぶらぶらしている。初め何だと思った。私のしりょく視力は○・四から○・七ぐらいなので、その物体が何であるか、はっきり確認できなかった。

でも考えると、男の股間にぶら下がっているものは一つしかない。すぐに分かるはずだと、みんなは思うかも知れないが、それが分からないほど長かったのである。測ったわけではないが、膝のちょっと上ぐらいまであったと思う。まさに時計の振り子だった。開いた口がふさがらず、目は点状態になっていた。そうなると私はもうシャワーどころではない。彼のものを横目に見ながら、ただただ溜息が出るばかり。自分のと比べながら、何て神様は不平等なことをするんだと思った。

後で自分の股間に物差しを当て膝の上まで測ってみたら、ゆうに三十センチはあった。私の頭に馬鹿げた考えが浮かんだ。この約三十センチのものが勃起したらどうなるんだろうかと。素朴な疑問だと思うが、三十五から四十センチのおちんちん。もうこうなるとおちんちんとは言えない。何か別の物体である。仮に勃起状態で三十センチだとして、セックスの時に女性に挿入できるのだろうかと考えてしまった。でも、こういうおちんちんがあるなら、女性の方もいろいろあるんだろうと考えた。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)