優秀な生徒は一年生でも三年生のクラスを取ることが出来、十一歳で大学生、私の友達に二十歳で大学院生(大学院生は普通にいけば二十二歳から)になった男もいる。アメリカでは一つの教科、とりわけ理系ができれば飛び級ということが可能である。二、三年、学年が上がれるのである。日本はといえば、すべて平均的にできることが要求され、高校では一が二つあったら進級できない。つまり他のクラスは単位を取っていても、また初めからやり直しという具合に。日米では、この点だけでも違いが大きく出ていると思う。

ここで少し、アメリカの大学での成績のつけ方について触れておこう。
ランクづけは上からA=4 Aマイナス=3.7 Bプラス=3.3  B=3 Bマイナス=2.7 Cプラス=2.3 C=2 Cマイナス=1.7 Dプラス=1.3 D=1 Dマイナス=0.7 F=単位不可、という評価がなされる。

大学によって違うが、私の大学は卒業必要単位が百二十四単位で、平均卒業成績をCプラス、即ち2.3で保たなければならない。アメリカ人でも平均が2.8ぐらいだというから、英語を母語としない私にとっては、2.3はかなりきつい話だ。

成績に関する手紙を貰った時、学期の途中だったが、私の成績はC平均だった。その手紙で私は、大学の成績のつけ方が初めて分かった。すぐに自分のアドバイザー(日本でいう担任のような者だが、まるっきり事務的で面倒み見がよくない)のところに行って、「今の自分にはこれが精一杯だ」と話した。すると「では次の学期から英語学校へ行って、英語の力をもっとつけてからここに来なさい」と、事務的な返事が返ってきた。私は外国人なので、英語にハンディがあることなどを、藁をもつかむ思いで話したが、同じ事務的な返事しか返ってこなかった。

後で、この言い訳は通じるはずがないな、と気づいた。なぜならアメリカは、Melting pot【人種のるつぼ】と言われるほど、いろいろな人種から成り立っている国で、私が日本人だから、英語が理解できないといったハンディのことを話しても、それが通用するわけがなかった。

卒業見込めないと赤紙
やっと期末テストも終わり、三週間の冬休みになった。しかし成績がとても気になっていた。成績の結果は、テスト終了一週間後に送られてくることになっていた。その日がきた。封筒を開けると、赤い紙と一緒に成績表が入っていた。見ると、Bプラス C Cマイナス Cマイナス Cで、平均がCマイナス。赤紙に目を向けると、「このままの成績で来学期も進みますと卒業が見込めませんので学校をやめて貰うこともあります」と書かれてあった。

ただ、この一学期には貴重なものを数多く学んだ。とりわけ勉強に対する姿勢だ。また、自分自身がしっかりしなくては、この国では生きていけないこともそうだった。これが私の個人主義の芽生えだった。授業中に指され、「I don't know」と答えると、学業のレベルが低いとみなされ評価がされない。とにかく個人の意見をしっかり言える人が評価されやすい。われわれ日本人はこのような教育を受けていない。日本では、意見に対して意見を言うと、反対意見のように取られがちなので、日本人は個人の意見をあまり発言しないし、学校の教員も、生徒の意見を求めるような教育は行っていない。

「成功への道」計画作る
ところで、私がこの時受けていた授業は、すべて一年生のクラスばかりだ。アメリカの大学は基本的には一年より二年、二年より三年、三年より四年という具合に難しくなる。当然と言えば当然のことだが、その証拠に、二学期から、一クラスにつき三十冊以上の読書が求められ、四つ出さなければならないレポートも、枚数が四枚から六枚に増えるなど、明らかに大変になってきた。それでもこれからは心底やってやろう、という気持ちになり、次の学期に万全な体制で臨もうと、冬休みに一人寂しく勉強しながら、「成功への道」と題した練りに練った私の学習計画表を作成した。それは次に記す内容だった。

五時十分 起床(シャワーを浴びる)
五時二十分〜七時三十分
三十分間声を出して英語を読み、頭の準備体操をしてその日の授業の予習を行う。本は一時間に二百ページぐらい読む

七時〜七時二十分 朝食
七時三十分〜午後一時三十分 授業
一時三十分〜二時 昼食
二時〜三時 リラックスタイム
三時〜五時 その日の復習
五時〜七時 夕食(ニュースとマイケル・J・フォックスのファミリーダイズを日課として見ていた)

七時〜午前一時 宿題やレポート作りなどいろいろ
午前一時十分 ベッドへ入る。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)