五千年前の人間も、強い者は征服欲があり、金欲があり、いい女を手に入れようとする。今も全く変わっていない。五千年前の人間も、親や恋人が死ねば悲しみ、いい女を手に入れれば喜ぶ。今も全く変わらない。つまり人間の感情は五千年前と今と比べてもあまり変わっていないことが分かる。バイブルがそのことを私に教えてくれた。人間の醜さや狡猾さ、卑怯さ、愚かさなども。また逆に優しさ、暖かさなども教えてくれた。バイブルは人間史の結晶と思っている。バイブルはキリスト教の経典ではあるが、私はバイブルを信仰書として読んだことは一度もなく、文学としてバイブルを読んでいた。みんなにも一度読んで貰いたい本の一つである。文量はかなりあるが。

またもう一つ文学のよさをつけ加えたい。
文学は違う文化、言葉を持っている人間であるにもかかわらず、かなりの共通点を持っていることを教えてくれる。今まで一度も話しなどしたことがない人達が、文学を通して人間は同じということを証明してくれているように思う。だから、四百年前のシェイクスピアの作品や、二千年以上も前のバイブル劇が、今だに上演されているのだろうと思う。

試合でバンクーバーへ
話をアメリカでの生活に戻そう。
大学も二年目に入り、友達を多く作りたいと思い、友人の勧めでサッカーをやることにした。ここでも一生忘れられない出来事に遭遇することになる。

ある公式戦のため、カナダのバンクーバーへ行くことになった。シアトルからは車で四時間ぐらいのところなので、それほど遠くはない。ロッキー山脈がそびえ立つ光景は、町の人たちが、バンクーバーは世界一美しい町と言うだけのことはあり、一度行ってみる価値のある町ではあるそれはともかく、この試合は、よく考えてみると、国際遠征で、私はこの言葉の響きに酔い、気持ちが盛り上がっていた。ところがコーチから「お前は行けないかも知れない」と言われた。というのは、アメリカ人がカナダへ行くのはほとんどフリーパスで、名前と目的を告げる程度で入国できるが、他の国の人はそうはいかないらしく、出発の数日前に、カナダ入国に関する書類を移民局に提出し、OKを貰っておかないといけない、と言うのだった。

私はレギュラーとしてやっていたし、部員も十七人と多くないため、みんなががっかりしていると、部員の一人が「ヨシは車のトランクに隠れて行けば問題ないんじゃないか」と言い出した。私は、とんでもない考えだ、こいつ何考えているんだと思っていると、他の部員も「それはいい考えだ」と同調し始めた。でも私は恐ろしかった。カナダへの密入国になる。この言葉の響きに私はおののいた。みんなが口をそろえて「どうだ」と私に聞くので、私はすかさず「NO」と答えた。でもみんなは私の気持ちを少し汲み取ることなく、「問題ない。何かあったら学校がどうにかしてくれる」など、勝手なことの言い放題。

何て奴らだと思っていた私だったが、彼らの思惑にはまってしまいつい、「行く」と答えてしまった。その日みんなは、ピクニックにでも行くようにようき陽気にはしゃぎ、音楽をき聴いたりしてリラックスしていたが、私の心は憂鬱で、暗い気持ちだった。

学校を出て一時間。みんなは歌を歌い出した。私の気持ちも知らないで、こいつらと思っていると、もう国境だという。国境到着五分前ぐらいの道端で、私は車の後部座席の下に、サッカーボールと一緒に隠れた。車は止まり、車の中に緊張が走った。入国審査の係官が「車の中に何人いますか」と尋ね、「八人」と答えている。(本当は私を含め九人)。次に「目的は何ですか」と尋ねられ「サッカーの試合に来た」と答えると、係官は「ではいい試合を」と言い、入国手続きらしきものは終わってしまった。その間ほんの二分ぐらい。あの緊張感は今でも忘れられない。

試合も無事勝つことができ、入国では何の問題も発生しなかったので、出国はほとんど心配していなかったが、悪いことはできない、ということを教えられることになる。来た時と同じように私は、国境到着五分前に後部座席の下にボールと一緒に隠れた。車が止まり、係官がまた例のごとく質問をした。車の中に何人いますか。八人と答える。目的は何だったのですか、と聞かれサッカーの試合です、と答えている。
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