つけ加えてもう一つ。もし今幸せなら、それは神に対して正直であり、誠意を示し、自分が正しい信仰心を持っているからだとなり、もし今が不幸せなら、それは神に対して不正直であり、誠意がなく、自分が正しい信仰心を持っていないから、ということになる。この点も凄く怖いことではないだろうか。今、わが国では宗教問題がいろいろと取り沙汰されているが、私の結論は、今の宗教の存在はドラエモンのポケットのようであると理解している。時には心地よく便利だが、一つ間違うと大惨事になってしまう。私は、キリスト教を宗教として自分の中に受け入れることはできなかったが、学問の領域である文学、歴史、人間行動学、考古学などの面からは今でも受け入れ、勉強に励んでいる。

パトカーに捕まる
ここで話題を変え、アメリカでの一つの出来事を紹介しよう。日本人友達七人がバンクーバーへ二泊三日の旅行に出かけた帰りの出来事である。前にも書いたが、シアトルからバンクーバーへは四時間ほどで行ける。われわれ七人はワゴン車をレンタルしてバンクーバーに向かった。この町は一度行ってすっかり好きになってしまった。前に英語学校時代のところで書いたが、ラーメンを食べにバンクーバーのチャイナタウンまで行ったことさえある。

この二泊三日の小旅行が、五回目のバンクーバー行きだった。しかし前回、サッカーの国際試合の時の事件(密入国)以来、カナダには行っていなかったので、カナダの移民局のブラックリストに私の名前が載っていて入国できないのではないかと、心配していた。しかし、この時はスムーズに入国できた。

そして帰り道、あと一時間でシアトルに到着という辺りで、パトカーが後ろについて来た。車の中でそれまで私達はウイスキーやビールで舞い上がっていた。しかし、運転していた友人がパトカーに気づき、とりあえずビールやウイスキーを隠くし、窓を開け、空気を入れ換えた。パトカーは十分ほどついて来たが、何をするでもなかった。私はみんなに「一度止まった方がいいんじゃないか」と言ったが、みんなはアルコールのせいか、「平気、平気」と言って私の言葉を一蹴した。

十五分ぐらいして、もうそろそろ平気だろうとみんなで話していると、パトカーが、私達の車を追い抜いて行った。やっと行ってくれたかと安心していると、パトカーの警官がスピーカーで、「止まれ」と指示してきた。私達が車を止めると同時に、十人ぐらいの警官が車から降り、ショットガンやピストルを突きつけ、「手を上げて動くな」と命じるではないか。まるで映画のワンシーンを見ているようだった。

運転していた友人は、まるで凶悪犯でも扱うように運転席から引きずり降ろされ、地面にはいつくばされた。体をチェックされ、手錠までかけられ、パトカーに連れて行かれた。残りのわれわれ六人は、これからどうなるんだろう、という不安でいっぱいだった。その時、パトカーはすでに六台に増えていた。彼らは十分ほどわれわれの車を調べ、ビールの空き缶などを見つけた。少しでも動くと「動くな」と怒鳴る。私達は車の中で十五分ほど、ショットガンを持った数人の警官にみは見張られ、それからやっと外に出された。だが、私達には手錠をかけなかった。

警官の中の一人がわれわれに、「ID(身分証明書)カードを出せ」と命じた。全員IDカードと学生証を出した。するとその人が「お前達は日本人か」と聞いてきた。「そうだ」と答えると、彼は「実はおれ俺の妻は日本人なんだ」と言うではないか。その一言で、それまでの緊張感がとけた。彼はわれわれのIDカードを部下に渡し、部下はパトカーに戻り連絡を取り始めた。多分移民局と学校で私達の身元を確認したのだろう。時間は十分とかからなかった。部下が戻って来て、「このIDと学生証には不審な点はない」と報告していた。

妻は日本人と言った警官がわれわれに、「なぜパトカーがサイレン塔を回した時に止まらなかったか」と質問した。私達は「確かにパトカーのサイレン塔が回っていたのは知っていたが、道の端に止まれという指示はなかったので、走り続けた」と弁解した。それにそのパトカーは、サイレン塔を二十秒ほど回してすぐに止めてしまったので、私達は安心してしいたのだ。

とにかくアメリカには、日本で想像できないほどの凶悪犯がいるらしい。ちょっとしたことで、警官も命が危ない。届けを出せば簡単にピストルが手に入る国なので、警官が挙動不審者を見つけ、調べようとしてピストルで撃たれることさえある。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)