スピード違反のキップ切りも命がけらしい。それにしてもショットガンやビストルを突きつけられた時は、小便をちびるどころか、心臓が口から飛び出さんばかりの恐怖だった。あの時、日本的な感覚で「何言ってんだよう、お巡りさん」など、軽い態度で接しようものなら、間違いなくズドンで、この体験記をみんなに読まれることもなく、今ごろは頭の上に輪っかでも乗っけていたに相違ない。今考えても紙一重の出来事で恐かったことが忘れられない。

日本人の妻がいると言った警官の配慮で、私達は警察署へは行かなくてもよくなり、罰金も払わなくて済んだ。彼は別れ際に日本の女性は従順で礼儀正しく、気が利く、とべた誉めであった。ところで、アメリカという国は州によって法律が違うことはみんなも知っているだろうが、外でアルコールを飲むのは、ほとんどの州が禁止している。軽い気持ちでビールを飲みながら外を歩いていたら、捕まってしまう恐れがあるから、注意されたい。

また、実際にあった怖い話を記しておこう。アメリカである日本人が、警察官に泥棒と間違えられた。彼は全く英語がしゃべられなかったので、胸にしまってあるパスポートを見せようとした。すると、ピストルを取り出そうとしている、とかんちが勘違いした警官がズドンと撃ってしまった。これなどはありがちなケースで、外国、とくにアメリカに行った時は注意が必要だ。

メキシコ
アメリカにいた時の旅行の話をもう一つ。
友達四人でメキシコへ行った。サンフランシスコまで飛行機で行き、そこで友達の知り合いの家にお世話になった。アメリカの平均的な家よりは大きく、庭も広く、プールもあり、羨ましく思った記憶が、今でも消えていない。

到着した晩、庭で歓迎会を開いてくれ、バーベキューをした。縦二十メートル、横十五メートルぐらいの大きさのプールに入ると、驚いたことに温水だった。日本人のわれわれにはとても信じられないことで、ただただ溜息が出るばかりだった。私は少し失礼だと思ったが、「とても素晴らしい家ですが、お幾らぐらいしたのですか」と尋ねてみた。するとご主人は「税込みで五十万ドルだよ」と教えてくれた。

当時、一ドルは二百五十円だった。日本円に換算すると一億二千五百万円の計算になる。その時、この金額は日本でも高いと思った。参考までにその家には、八畳の部屋が六つあり、リビングとダイニングルームがつながっていて、ゆうに二十五畳はあった。トイレ、バスが一階と二階に一つずつあり、庭はもう少し広ければ、テニスコートが作れるほどだった。おまけに温水プール。車が三台は入るガーレジもあった。これも、日本の国土面積の二十五倍はあるアメリカ合衆国ならではの話である。

話がずれてしまったが、ずれついでにもう一つ話しておく。
世田谷区の土地面積の価格でカナダが買え、東京の土地面積の価格でアメリカ合衆国が買えるという。それだけ日本の土地は高いということだろう。もしかしたら日本全土の土地面積の価格で、全世界の土地が買えるかも知れない。

何年ぶりかで帰国した時のことだが、自分の家に入って、自分が巨人になったように感じたことを覚えている。部屋は狭く、天井が低いせいだろう。アメリカに初めて足を踏み入れた時、全てが「でかい」という印象を持ったが、日本は逆に「小さい」とか「狭い」ということになるのではないか。

話を戻そう。一晩ぐっすり眠り次の日に市内観光をした。リトルトーキョウに行き、あまり日本人には知られていないようだが、マジックマウンテンへも行った。ディズニーランドと同じくらい大きな遊園地である。二日目に有名な人たちが住んでいると言われるビバリーヒルズに足を運んだ。当時人気最高潮のマイケル・ジャクソンの家を探したが、見つけることはできなかった。とにかく豪邸が建ち並んでいて、ただただ驚くばかりであった。

三日目に一泊の予定でメキシコへ向かった。イーグルスの「ホテルカルフォルニア」という曲を聴きながら、そのホテルの前を通り、橋を渡り、サンディエゴを通ってメキシコへというわけである。その道程は五時間ほどだったと思う。夏に行ったということもあり、とても暑く、太陽がぎらぎらしていた。しかしそのぎらぎらさが、カルフォルニアやサンディエゴによく似合っていると思った。(つづく・感想文をお寄せ下さい)