本当は一泊の予定でいたのだが、例の泣いた女性が帰りたがったので、泊まる予定のホテルをキャンセルして市内を三時間ほど回って帰ることにした。ショピングもしたがとても安かった。日本円で五百円も出せばいいものが買えた。私も三百円ほどのインディアンが手編みした服を買った。三年ほどもったと思う。安い買い物である。また、ドルで買えば値引きしてくれることも知った。アメリカ合衆国の強さの一面を見た思いがした。

ドルが強い
また横道にそれてしまうが、後にヨーロッパを旅行した時も、ヨーロッパの国々でドルの強さが群を抜いているのを経験した。メキシコと同じように、品物を買うと、その国のお金よりもドルなら値引きすると何度も言われた。ちなみに円は、日本が世界一の経済大国になったといっても、ヨーロッパでは一切受け入れられていなかった。みんな円という名前を知っているだけで、ショッピングなどでは何の役にも立たなかった。とにかく強いのはドル。次にマルクであった。ドルがなければマルクでもいい、値引きすると言われた。
     
待たされたメキシコ出国
ショッピングを終え帰ることにした。市内を出て一時間ほどで
こっきょう国境に着いた。また、かなりの車の列であった。来た時と同じように一時間もあれば出国できると思っていたのに、とんでもなかった。三時間あまりかかったと思う。後で事情を聞いたら、観光客の車のトランクの中にかく隠れ、無断出国(アメリカへの密入国)するメキシコ人が多いとのこと。その他、マリファナの持ち込みなどいろいろあるらしく、メキシコからアメリカへの入国は、非常に厳しいということを知った。

入管で待っていた三時間ぐらいの間も、子供達がお土産や、暑いので冷たいジュース、お菓子などを売りに来た。近くに小さいテントの病院さえあった。暑さでまいってしまう人が少なくないようだ。われわれの番が回って来て一人一人のパスポートがチェックされ、車内とトランクを十分ほど調べられた。異状がないことを係の人が確認すると、出国のスタンプを押してくれた。アメリカにやっと帰れて、泣いていた女性も元気を取り戻した。同じ太陽のはずなのに、なぜかアメリカで見る太陽の方が気持ちがいい。ラジオをつけると、ビーチボーイズが流れていて、改めてアメリカに戻って来たんだなあ、と思った。帰りがけにサンディエゴのマリンパークに寄り食事をした。午後七時ごろだったが、まだ明るかったので、ひと泳ぎをしたことを覚えている。

シアトルに帰り部屋の寝床にもぐり込み、メキシコのことを考えたが、まるで夢のように思えた。あのぼろぼろのバス、かわいい子供達が路上で寝ている姿、仕事をしている姿など、われわれ日本人には思いもよらないことの連続であった。

通用しない日本の考えメキシコに行った、と言ってもほんの数時間だけだったが、とにかくその時、世界はとても広く、日本で通用する考えが、他の国では通用しないことが分かった。それ以来、いろいろな国々を回って、いろいろ見聞したいと望むようになった。私はこの旅行をきっかけに日本人は、日本で通用する常識だけでなく、世界にも通用する常識や考えを持たなくてはならない、と考えるようになった。

外国ナイズされろ、と言うことではなく、日本人の気質や伝統をベースに、世界にも通用する考えが持てるように、もっと勉強しなくてはいけないと思うのである。そのようなことを教える役割は、学校が担っていなくてはならないはずなのに、まだまだそのようなことは望むべくもない。英語や世界史の授業が、このような考えを伝えていかなければならない役割を持っているにもかかわらず、英語の授業は大学入試のためであり、言語学でも勉強しているかのように、細かい文法授業をしているだけだ。英語という最良の武器(言語)で、学生の心に国際理解への根を植えつけさせようなどという考えはもうとうもない。

世界史も歴史的事実を列挙するだけで、過去が現在にどのようにかかわっているか、詳しくは教えていない。とにかくメキシコは、私にとって初めて経験した「違う世界」ではあった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)