女性は私にほほ笑みながら、「Thank you verymuch for your kindnesses」(あなたの親切に感謝します)と礼を言った。信号が青に変わったので、私は「バイ バイ」と手を振りながら歩き出した。するとその女性は「あなたはどうですか」と私にまで声をかけてきた。
「この次にね」と言い残し、立ち去った自分が少しかっこいいと思ったものの、そうせざるを得ない状況にあっただけである。お金があればその女性にのこのこついて行ったに違いない。だって本当に美人だった。日本人男性が、西洋人女性の美に骨抜き状態になってしまうことの証明。

日本も快晴
帰国の話に戻そう。
私はいつもそうだが、飛行機に乗ると食事をしてからウイスキーを飲み、きれいなスチュアーデスに、到着一時間前に起こしてくれるように頼む。その日はとびきりの美人だったので、最高にラッキーだと思った。

成田に降り立つと、天気は快晴で雲一つなく、私の帰国を祝福してくれているようだった。ところが、この後すぐ起こった税関での出来事は、私を天国から地獄に突き落としてしまった。
気分よく成田に着き、パスポートを見せ、第一関門を通り、飛行機からの荷物が来るのを待ち、自分のものを手に取り、最後の関門、税関で順番を待った。荷物が出て来るのが遅く、ちょうど他の飛行機の到着と重なったこともあり、列はかなり長かった。荷物を調べられない人は、私の見る限りではかわいい人、おばあちゃん、おじいちゃんのグループだった。検査官は三十代から五十代の男性だったから、女に甘いのではないか、と自分のことを棚にあげてそう思った。

一時間ほど並んでいたと思う。やっと私の番がやってきた。何もやましいことはなかったので、検査官に「申請するお土産などありませんか」と問われ、自信を持って「はい、ありません」と答えた。すると、「荷物の中を見せて下さい」と言われた。私は、人を見る目がない奴だ、と不満げに荷物を開けた。下着や本などが雑然と入っていた。後ろに並んでいたおばあちゃんと目が合い、にっこりされ、少しは恥ずかしかった。中身を二分ほど調べていた検査官は、私に「これは何ですか」と、小さなものを指し、尋ねた。それは例の「鼻づまりを直す薬」だった。

「それがどうかしたのですか」と逆に聞くと、検査官は小さなパンフレットを私に示した。そのパンフレットには、私がお土産として買ったものと全く同じ物が載っていた。すぐ二人の検査官がやって来て私を「こちらへどうぞ」と、小部屋に連れて行った。個室で三十分ほど待たされた。隣の部屋では数人の外国人がいろいろ質問を受けていた。やっと偉そうな人がやって来て、説明を求めた。十分ほど説明をして、どうにか分かって貰えたようだった。

その人の説明だと、そのリップステック状の「鼻づまりの薬」は、アメリカでは法的に販売が認められているが、日本では認められていないということだ。しかも、それなりの技術があると、その「鼻づまりの薬」から、麻薬のようなものが抽出できるらしい。最近日本人がこの種のものを大量に持ち込み、それを分解して商売にしているという。

そんな話をして、その人は「身元を確認させて貰います」と言って部屋を出て行った。三十分ほどして戻って来て、「貴方のアメリカと日本の身元がはっきりした」と告げ、「鼻づまり薬」はやっと返して貰えることになった。とんだお土産になってしまった。

先に紹介した、サッカーの国際試合でカナダに行った時の出来事といい、税関ではいつも緊張しまくっている。本当にいやになる。このことが起こる前までは最高だった帰国の日が、とんだ日になってしまった。

やっと税関を通り抜けることができた。迎えに来ているはずの弟はさぞ怒っているだろう、と思いながら探し回ったが見当たらない。あまり待たせたので、嫌気がさして帰ってしまったのではないだろうか、心配になった。電話で家にかくにん確認すると、弟から、戻るとは言ってきていない、成田に向かっている、とのこと。

仕方なく気持ちを据え、待つことにした。飛行機は四時十分に着いたのだから、うまく税関を抜けていれば、五時には弟に会える。遅くとも六時には弟の車に乗れると思っていたが、九時になっても弟はやって来なかった。電車をの乗りつ継いで、一人で帰ろうと思ったが、弟はこっちに向かっているというのだから、もう少し待ってみようと、私は電話の近くでカバンに腰を下ろした。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)