仕事はとても忙しく、毎日が残業で、三笠公園での仕事の二ヵ月間は、夜九時ごろまで働き、家に帰るのはいつも十時ごろ。くたくたの状態で風呂に入ったものだ。そんな状態でも私は、二時間は英語の本を読んだ。若さがなせる凄さだったに違いない。寝るのがいつも一時半。五時半には起きて、英語の本を三十分ほど声に出して読み(いつもアメリカでやっていたこと)、それから仕事に向かった。今思えばよくやったなあ、と自分の事ながら感心してしまう。やはり何かやるとしたらエネルギーが溢れている若いうちなのかも知れない。若いときは無理がきくからね。

最初の給料日、胸がわくわくしていたことを覚えている。というのも、日給が一万円。残業は一時間千五百円で、毎日三時間は残業をしていたから、一日にだいたい一万五千円は稼いでいたことになる。今は、一万五千円というのはたいした額ではないのかも知れないが、その当時は大きい金額だった。心が弾むのは当然のことだった。

私達四人は給料日ということで仕事を早めに切り上げ、事務所に戻り親方が帰って来るのを待った。ところが一時間しても二時間しても帰ってこない。電話がようやく入って、急用が出来て事務所には行けないとのこと。私は、二十五日働いたのだから、三十七万五千円は貰えると思っていただけに、がっかりであった。

次の日には貰えると思ったが、元請け業者が支払ってくれないので、みんなに給料が払えないと言う始末。ただ私には、それまで時々、十万円とか十五万円を払ってはくれていた。私がアルバイト学生という立場だったからであろう。他の三人は、三ヵ月ぐらい給料を貰っていなかったようだ。一人は家庭持ちで子供が二人いた。生活費が渡せないので、離婚話まで持ち上がっているということだった。

しばらくして、親方がみんなを集めて会社の状況を話した。私はアルバイトだったから、第三者的立場で聞いていた。その話の内容は、元請け業者からの支払いが遅れているが、三ヵ月以内に数千万円入ることは確かだと話し「みんな、俺を助けると思って、金を工面してくれないか」と頼んだのである。私は、これはおかしいと思った。そこで私をこのバイトに誘ったKに「これ何かおかしいよ、俺達,騙されているんじゃないか」と話した。

三人はそれぞれ、サラ金にお金を借りに行った。ある奴は三百万、ある奴は五百万などと。三人を合計すると一千万円以上のお金を作ったのではないだろうか。ある奴は今を乗り切れればどうにかなると思っていたのか、親や親類に頭をさげ別口でお金を借り、またある奴は親に頭を下げてお金を作った。最終的に、一番多い奴で一千五百万、一番少ない奴でも五百万ぐらいの借金を背負って、親方につぎ込んだのである。

私はアルバイトだったから、そのようなことは頼まれなかったが、みんなが一生懸命にお金を工面しているのをみて、かわいそうになってきた。だって、あんなに働いても給料が貰えないなんて、誰だっておかしいと思う。しかし、当事者は焦っているから、周りを冷静に見られず、泥沼にはまってしまう。

ところでその親方は、元暴力団員だったらしいが、容姿はそれらしいところが全くなく、人当たりはとてもよく、紳士ではあった。週に二度ほど顔を見せ、多少のお金を持ってきて、自分はいかにもお前達のためにがんばっているんだ、というふうに振る舞った。

しかし、私達四人は完璧に騙されたのである。私は四ヵ月しかいなかったが、ほかの連中は、一年は一緒に働いている。給料が出なくなったのは私が働き始めたころだという。一ヵ月三十七万五千円で四ヵ月働けば、アメリカに百三十万円は持って行けると胸算用し、アメリカでの安月給の皿洗いにおさらば出来るとホッとしていたのに、またやるはめになってしまった。結局、私が受け取った給料の総額は、五十万円にも満たなかった。

それでも他の三人に比べれば愚痴は言えなかった。私をそのアルバイトに誘ったKは、申し訳ないと言うばかりだった。Kは恐らく二千万近く借金をして、親方につぎ込んでしまったようだ。こんな馬鹿な話があるものかと思う。

テレビで詐欺に遭った話を聞き、馬鹿な奴がいるもんだ、騙される奴はスキがあるからだ、と考えていたが、自分が巻き込まれると、途中、疑いを持っても、冷静になれず、行くところまで行かないと気が済まないようになってしまうのである。私は何度も友達に「もうやめろ」と注意したが、私の言うことは分かっていても、「今、やめるわけにいかない」、を繰り返すだけだった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)