そして、その時腰を抜かした後遺症で腰が痛いとこぼしていた。また、腰が痛くなると必ずそのことを思い出すという。他のレストランでもこのようなことは少なくないらしい。

少し余談になるが、そのレストランで働いていたウエイトレスは全員が日本人で、だんな旦那さんはアメリカ人というケースがほとんどだった。いろいろ話を聞くと「うちの旦那は寝巻を見ると興奮する」とか、「お茶を入れている姿が好き」とか、「簪(かんさし)をつけた舞子さんのような髪形に痺れる」など、われわれ日本人には気づかないようなことに魅力を感じているらしい。

レストランで働いていた三年間は、とてもいい人生の勉強の場になった。その当時の人たちとは、今でも手紙のやり取りをしており、いつでもシアトルへいらっしゃいと暖かい言葉を添えてくれる。うれしい限りである。

トイレットは便器
レストランの話が出たので、関連のある話を紹介する。アメリカのトイレのことである。アメリカのトイレは、日本とは大きく違う点が一つある。大をする方の扉が下膝ぐらいまでしかない。私は初め、覗かれるのではないか心配で、トイレに入るのが恥ずかしく、抵抗があった。とろこそがその事にもわけがあった。扉の下が開いている理由は、トイレの中での麻薬の売買防止やセックス防止だということだった。私は一度トイレでセックスしている男女(当然男女だと思うだろうが、そこはアメリカ、男男、女女もありうるから念のため)を見たことがある。
ちなみにトイレは、英語でトイレット。これは日本語に訳すと便器。英語ではバスルームと言うのが普通。だから日本人がトイレを探すのに「Where is toilet?」とたず尋ねると「便器はどこですか」となってしまい、笑われるから注意しよう。

高い小水用トイレ
もう一つ、トイレの中での私のエピソードを思い出した。あるレストランのトイレの話である。小便がしたくなってトイレに入った。小便の便器は五つあり、とてもきれいで豪華そうに見えた。しかし、その前に立ってみると、やけに高いのである。かかとを思い切り上げてやっと届くぐらいの高さであった。小便がかなり溜まっていたが、これでは安心して用をたせないと思い、一度下ろしたチャックを上げた。物置があったので、乗って用をたせるものはないか探すと、それほど安定性はよくなかったが、台があったので、それを使うことにした。

その台を便器の前に置き、私は恐る恐る乗った。少し揺れたが、それほど問題はなかった。気持ちよく、勢いよく排出し、後もう少しで終わろうとした時、一人の紳士が入って来た。その気配に振り向いたとたん、台がぐらりときて、私は自分の大事なものを左手で持ちながら、後ろに倒れてしまった。自分の小便が顔にもろにかかってしまった。紳士はびっくりして倒れた私を見た。

私は頭を打って、しかも大事なものを出したまま頭を抱えている始末。とんだ目にあった。紳士は「大丈夫ですか」と、親切に声をかけてくれ、私もわれを取り戻した。照れくさかったが、その紳士と並んで、少し残っている小便を、台を使わず、かかとを思い切り上げ、済ませた。紳士は百八十五センチぐらいのせたけ背丈だった。その紳士ですら「ここのトイレは少し高すぎる」と、私を気の毒そうに見ながら言った。大の方も、足が床に届かず、足を宙ぶらりんの状態ですることがある。何ともお落ちつ着かない。それにドアが膝の高さまで開いているのも落ち着かない。アメリカに数年いたので慣れたが、やはり日本の方が落ち着く。

また、アメリカ人のお尻が大きいためか、大の方の便器も大きい。お尻が便器にはまってしまうんではないかと心配になることもあった。漫画でもあるまいが、便器にはまって助けて貰わなければならなくなったら、何て情けなく、惨めなことだろう、と想像した。私は幸いにもそういうふうにはならなかったが、自分の小便が顔にかかったのには本当に参った。

キミさんの話
日本レストランで働いていた時に会った、忘れられない人がいる。そのレストランでは、八人の日本人女性がウエイトレスとして働いていた。そのうちの一人にキミさんという女性がいた。彼女は私より十歳ほど年上であった。旦那さんはアメリカ人である。ある時、彼女が仕事中に倒れた。私はその場にいなかったのだが、他のウエイトレスからそのことを聞いた。 (つづく・感想文を寄せて下さい)