ただ、黒人の中には私によくしてくれた人も少なくない。なぜならその人達は自分が受けた差別を他人にしないという、確固たる信念を持っていたからだ。私はその信念ある黒人からそう聞かされた時、これだ、と思った。そして私はそれ以降、差別されたいやな思いを、他の人には経験させないように心がけてきた。このような考えが、いろいろな人種で成り立っている国、アメリカで必要不可欠なんだが、私の感じでは、人種差別について、悪い方へ悪い方へと進んでいっているように思えてならない。

このことに関してだが、わが国にも多くの外国人が住むようになっており、アメリカだけの話ではなくなってきた。日本も人種差別のことを深刻に考えるべき時にきている、そう私は思う。

プールが黒人禁止
それはさておき、私がアメリカに滞在して一年目の夏のこと。日本人友達数人とプールへ行った。すると、料金が表示されている横に「NO BLACK 」、つまり「黒人禁止」とあるではないか。この時ほど私は、アメリカに本当に来たんだと実感したことはなく、こわごわと係りの人に「私達は日本人ですが入ることができるでしょうか」と尋ね、「0K」と言われ安心したものだが、アメリカ社会の人種差別の一端をかいま見たように思えた。黒人がプールに入ると水が汚れると考えられているらしい。そしてこの出来事は私が、アメリカという国に次第に興味を持ち始める一つのきっかけとなった。

アメリカがスポーツ大国であるにもかかわらず、オリンピックなどで黒人の水泳選手を見かけないのは、これが理由かな、とその時思った。今考えても、このことが理由の一つであるとは思うが、比較的貧しい黒人達にとって、水泳はお金にならないから興味を持たない、という理由が一番大きいのではないか、と思うようになっている。

私がアメリカの大学に入学して一年目のことだった。英語が理解できなくて勉強が難しく、溺れる寸前の状態だった時である。ある黒人女性(その時、クラスで黒人女性は彼女一人だけだった)に、「人種差別を感じないか」と聞かれた。ところが私はその英語の質問自体が理解できず、「分からないなあ」と、軽く流すだけの返事しかできなかった。その後、勉強が軌道に乗り、人種差別のことも考えられるようになった時、彼女の質問の意味がようやく理解できた。

私の解釈はこうである。この学校はキリスト教系で、キリストの信条の一つに「神の前では全ての人間は平等である」というのがあり、人種差別を真っ向から否定しているはずの学校であった。しかし、そうであるはずのこの学校で、私自身も、「あいつは日本人だ」という視線を感じたことは何度もある。彼女もそれを痛切に感じていたのだろう。今思えば、あの時の彼女の質問の仕方が、悲しげな態度であったことがうなずける。次の学期に彼女の姿はなかった。

アメリカでは、車のディーラー会社の中で黒人は、中古車専門の販売を担当させられる。白人が新車専門販売員。これも差別であろう。だけど不思議なことに、人気スポーツのほとんどの選手が黒人で、彼らはアメリカ全土を楽しませている。だから私には、どうして黒人が差別されるのかが理解できない。ただ私は、人種差別は人間がいる限りなくならないような気がする。残念なことであると思いつつ、私も、どこかの外国人に対して差別をしているのではないかと不安に思う。

日本の中でも、同和問題という深刻な差別問題がある。ましてこれから日本には、いろいろな国の人が入って来て、彼らが多く集まれば必ず彼らの共同体を作り始めるだろう。その共同体が多くなれば、いろいろ問題が生じてくることは容易に予想される。すでに外国人の犯罪が増加する傾向にあり、最近ではよくニュースにも取り上げられるようになった。このため、先に紹介した梶山発言などが飛び出すのであろう。

人種のるつぼ
アメリカは「人種のるつぼ」と言われ、多数の民族から成り立っている国であるから、差別も仕方がないことかも知れない。しかし、仕方がない、で片づけられてしまうと、差別される側はたまったものではない。アメリカで一番いい人種と言われている「サラブレット」は、WASP(ワスプ)。White AngloーSaxon Protestantに所属する白人である。アングロサクソン系(五〜六世紀に英国に侵入したAnglesとSaxonsが一緒になった民族で、今日の英国人の祖先)で、プロテスタント(キリスト教は大きく分けでカソリックとプロテスタントがある。(つづく・感想文をお寄せ下さい)