引っ越しの手伝いをした私は、二十三万ドル(当時日本円で約三千万円)の彼の家が立派で、周りの環境がいいことに驚いた。交通事情もフリーウェイの出口から三分程度しかかからず、大きな公園やハイキングコースもあった。近くには小学校、中学校、高校があり、その上、景色も最高であった。

引っ越しして一年ほどして遊びに行った時のことである。彼は「今一つの問題が起きているんだよ」と言う。それは黒人が近所に引っ越して来るということだった。そこは百軒ほどの家が一つの集落を作っており、住民の八○パーセントは白人、残り二○パーセントは日本人や韓国人、中国人だと言う。黒人の転入について、みんなで話し合ったらしい。黒人を近所の住民として受け入れるべきか、断るべきかと。

実を言うと、日本人や韓国人が初めて引っ越してきた時も、そのような会議が開かれたらしい。しかし日本人や韓国人は教育、知的レベルがそう低くない。しかも、悪さをしない。

一人一人の社会的地位も調べたようで、私の知り合いはレストラン経営者ということで、社会的信用があるとし、その集落に住むことが認められたと考えられる。そのことを、黒人の転入問題が発生した時に聞かされたそうだ。もしその会議で転入は認められない、ということになれば、先住者たちは不動産会社に申し出て、家を売らないでくれと言うことになるらしい。

ところで、その黒人転入問題の会議は、波乱含みになるのでは、と私は想像していたが、そうでもなかったらしい。二時間ほど話し合っただけだった。中には黒人でもいいではないかという意見もあったが、黒人を受け入れることは出来ないことが決まってしまったという。近くの小学校、中学校、高校にも黒人生徒がいないといった環境を求めて住んでいる白人がいること、また、黒人は全くいないしヒスパニック系の住民は少ない、ということをセールスポイントにして、住宅の販売をしていた不動産屋だったことから、結局、黒人は転入することができなかった。

黒人市民運動家殺害裁判
この採決で私の頭をよぎった一つのことがある。一九六三年に、ミシシッピィ州で黒人市民運動のリーダーだったメジャー・エバース氏(当時三十八歳、全米黒人地位向上協会州代表)が暗殺されたことだった。白人至上主義者の白人男性が容疑者として逮捕され、翌六四年に裁判が行われた。しかし、裁判の陪審員は全て白人で、二回の裁判とも「評決できず」の結論を提出した。裁判は六九年に幕を閉じ、白人男性は無罪ということになる。

しかし、二十八年後の一九九一年に発生したロス暴動の裁判をきっかけに、メジャー・エバース氏の暗殺問題が再燃し、新たな証拠が提出され、その容疑者が殺人容疑でさいきそ再起訴された。七十一歳になっていたこの白人男性は、記憶の薄れと老年ということで、再審無効を訴えたが認められず、再審議が行われた。この時、陪審員が選出される地区の黒人人口比は四八パーセント。陪審員の半数前後は黒人になるはずである。これでやっと公正な裁判が可能になったと言える。これだけの時間がかかっているのである。

黒人へのイメージに変化
このように再審が可能になったり、アメリカの美人コンテストに黒人女性が登場するようになり、フゥギアスケートのアメリカ代表が黒人女性だったりと、アメリカでは黒人のイメージがかなり変わってきたように思える。アメリカ代表の水泳選手に黒人でも選ばれれば、このイメージの変化にさらに拍車がかかると思う。

黒人についていろいろ述べてきたが、最近、さらにこのことを追究してみたいと思っている。またこの話は先進国(アメリカ、日本、ヨーロッパ諸国など)を対象としており、アフリカでは黒という色は美を表しているのかも知れない。こういう点が勉強不足なんだ。差別問題からこういう話になってしまったが、この話の中の、日系人の戦後五十年間の歴史をこつこつ勉強していけば、私は何かが見い出せるのではないかと考えている。というのも人種差別はもはやアメリカやヨーロッパだけの問題ではなく、われわれ日本人の問題でもあるからだ。人種差別の解決は、人類の永遠の課題なのかも知れない。
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