盗まれる自動販売機
アメリカの犯罪にからんだ話を続けよう。
アメリカには自動販売機が日本のように道端に置いてあることはほとんどない。あるとしたらガソリンスタンドの中かゲームセンターか、または映画館の中ぐらいだろう。日本のように道端に置いてない。私は一回だけ道端に置いてあるジュースの販売機を見たことがあるが、太い鎖でぐるぐる巻きになっていた。「何でこうなっているんですか」と近くにいた人に尋ねると、「盗まれないためだ」とのこと。

アメリカでは自動販売機も盗まれるらしい。その自動販売機には赤のペンキで「Do not touch me」(私に触らないで)と書かれてあった。五十セントを入れ、コカコーラのボタンを押したら、しっかり機能し、コカコーラが出てきた。そばの人が「あら、珍しいわ」と言って、「押したものが出てくるとは限らないのよ」とつけ加えた。

自販機が多すぎる日本
ここで、ついでにと言っては何だが、日本の自動販売機について書かせていただく。日本は、電信柱と同じ間隔に自動販売機が設置されている。いろいろな自動販売機がある。飲物をはじめ、タバコ、アイスクリーム、本、カップヌードル、コンドーム、下着、電池など…。確かに便利だとは思うが、あまりにも多い自動販売機に、日本人は何も感じないのだろうか。こんなに多くなくたっていい、と思っているのは私だけなのだろうか。日本が裕福になったからといって、このように無駄をしているようでは先が思いやれる。日本人は今、節約とは何かということを、ゴミ問題を絡めながら考えるべきである。あれだけ多い自動販売機は、近い将来ゴミとして処分されるのである。車だってなくとも生活できる。

私が思うに、今、日本人には「不便利さ」に対する免疫がなさ過ぎる。だから、もう少し不便利さというものを味わい、いつか来るであろう不便利のために、その免疫をつけて置くべきではないだろうか。さらにつけ加えると、私が子供のころは今ほど自動販売機がなかった。ジュースやアイスクリームを買うのに、店に行って、おばちゃんと話しをし、おまけを貰ったりしながら買ったものだ。今の子供たちは、昔に比べそういう機会は少なく、遊び相手と言えば感情のない機械、ファミコンである。一日中家にと閉じこもっている。あまり人とのコミニュケーションの場がなく、人間関係がうまくいかなくなり、相手の気持ちも理解出来なくなる。そうなるとよけいに自分の殻に閉じこもりっぱなしになってしまう。

今ではかつての「おばちゃん」のような存在はなくなってしまった。人と交流するという点で、「おばちゃん」は、重要な存在だった。私がよく通っていた駄菓子屋ももうなく、寂しい思いをしている。最近連続して発生している「十七歳事件」やいじめ問題を聞くたびに私は、生活が便利になった分、われわれ日本人がなくしたものはあまりにも大きいのではないか、とつくづく考えてしまう。

麻薬
本題に戻ろう。ドラッグ(麻薬など)について書いてみたい。
アメリカでは、マリファナを使用するのは日常茶飯事のことであり、かなりの人たちが使用していると聞いている。プリンスのコンサートに行った時のことである。会場が煙で充満していた。当然マリファナのわけだが、そこで驚いたことに、かなり年配の夫婦(六十歳以上に見えた)が、マリファナを吸いながらハイになっている。

それを見て私は、アメリカのマリファナの使用者はすごい数にのぼるだろう、と考えたものである。マリファナはたばこ一本分で十ドルほど。三人が一晩中ハイになれるくらいだから、それほど値段の高いものではない。マリファナにも十種類ぐらいあるらしく、コケインやハッシシなどはかなりの値段がするらしい。詳しいことはまったく分からない。私は一回もやったことがないので、どういうものなのか述べられない。男と女がパーティーをしていると、アメリカではマリファナがつきもの。それでみんなはハイ(いい気分)になり、行き着くところはセックス。見境いないセックスが、アメリカでエイズ患者が増える原因の一つになっている。

泣くに泣けない酷い話
ここで、私の大学時代のエイズで死んだ友人について少し話してみたい。「エイズ」という言葉にアメリカで最初に出くわしたのは、一九八二年だったと思う。新聞で大きく取り上げられた。私がアメリカに渡った年である。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)