相手が自分のことをどう思っているかを知ることで、自分を知り、自分を成長させる。われわれもずるいと思うことは素直に認め、お互いいい関係で成長していきたいものである。

何でも一番
かつて、世界はアメリカ中心で回っていた。それがソビエトの崩壊、冷戦が終わり、アメリカが世界のひのき舞台に出られなくなった。そしてふと自分の足元を見ると、国内は大荒れ。自分の国の製品が売れない。日本製品だらけ。

三十年ほど前から経済の分野に、日本を中心に韓国や中国がたいとう台頭してきた。アメリカの時代は終わったとか、崩壊するアメリカなどの研究書が多く見られるようになった。そしてアメリカでは、もう世界のことはいいから、自分達の足元をしっかりさせなければ駄目だ、と言う考えが主流になってきた。前にも書いたが、日本人はずるいとか不公正という裏返しに、アメリカ人は自分たちが公正である、と思っている。私が思うに、アメリカ人は、いつも自分たちが一番、と思ってきた人種である。

JAP
私が大学でオーナーステューデントの称号を受けた時、学長が「ここ数年、この称号を外国人生徒に授与することが多くなった。みんなにもがんばって貰いたい」とコメントした。その裏返しは、「おまえらアメリカ人は、何やってんだ、外国人にこの称号を取られて悔しくないのか」という意味に取れないこともない。ちょっと考え過ぎかな。しかし、日本に対して面白くないことは事実であったろう。

ところで日本人をけいべつ軽蔑して「ジャプ」と呼ぶことがよくある。アメリカの新聞にも「JAP」と出ていたのには驚いた。日本がアメリカを侵略し始めたという記事の中に、この言葉が使われていた。

もう一つジャプの他に日本人に対する軽蔑語がある。それは「バナナ」である。ある時、私がバス待ちしていたら、黒人男性がいきなり私に向かって、「Are you fucking banana ´ aren´t you ? 」と声をかけてきた。その意味は「お前、くそバナナやろう」ぐらいかな。私は意味が分からず、聞いてみた。すると、「お前らは、外見は黄色だけど、中身は白いからな」と答えた。うまいことを言うなと思った。考えてみると、アイデアはいつもアメリカが出し、それをうまくやるのが日本である。彼らにしてみれば面白くないのは当たり前かも知れない。

第十一章 大学四年
お尻を出して走る
肩の張りそうな話が続いたので、ここで柔らかい話を紹介しよう。確かあれは大学四年の初めのころだったと思う。友達と一泊の予定でドライブに出かけた。その時の車の中での会話である。友達五人の中の一人が私に、「今までのアメリカの生活はどうだった。いろいろ経験した見聞きしたろう」と質問をしてきた。私は、これまで書いたようなことを三十分ほど話した。また、書いてはいなかったが、私が本を買いに町中まで出て、帰りのバスを待っていた時のことも話した。

一台の車がクラクションを鳴らしながらやって来た。周りの人達はなんだと、車に目を向けた。私も見た。その瞬間、周りに笑いの渦が広がった。私も大笑いをしてしまった。ワゴンタイプの車の窓から、まるはだか丸裸のお尻が四つ出ているではないか。二つは白人男性、一つは黒人男性、もう一つは白人女性のものというのが、外からも分かった。土曜日の午後ということもあり、人通りが多かったので、彼ら彼女らのお尻で町中が大笑いになってしまった。車の音楽に合わせて、四人が一斉にお尻を振る。下手な漫才を聞くより面白かった。お尻に顔の絵でも描いたらもっと面白いのになあ、と思いさえした。

その話をすると、友人達が「俺達もやろう」と言い出した。私は「絶対やらないよ」と反対したが、他の四人は「やろうよ」と私を説得にかかった。アメリカに来たんだからアメリカのやり方に従わなければだめだよ、などなど、勝手なことを言い出す始末。彼らは三十分ほど私を説得したが、私の意思の堅さに諦めかけた。

ところが、私の脳裏にいかがわしい思いがよぎった。それは五人のうち三人は男、二人は女で、女性の一人がとても美人だった。この女性のお尻が見られるのなら、と胸がときめいたのだった。もう一人の女性はてんけいてき典型的アメリカ人太り。駒太り(私は太っているアメリカ人を駒太りと呼んでいる。理由は駒のような体型の太り方をしていることから)で、こいつのお尻が出せるか見物だ、とも思った。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)