そこで私は、「そうだ、ここはアメリカなんだから、アメリカのやり方に従おう」と発言してしまった。しかし、声を上げたはいいが、今走っている道路はフリーウェイである。時速百キロは出している。走っている他の車が私達の行為に驚き、事故でも起こさないだろうか、少し心配になった。そのことを私が言うと、「そんなこと心配ない」と一蹴されてしまった。私もまあいいや、という気持ちでお尻を窓に向け、ズボンを下げ始めた。女の子も同じようにしている。私は美人の女性のお尻を、見ない振りをしてしっかり脳裏に焼きつけた。そして今でも瞼(まぶた)を閉じると、あの時の光景がうかんでくる。

ところで、その時、その美人がズボンを脱ぐ仕草に、私のものが少しずつ変化していることに気づいた。そのことが友人達にばれると、私がそれまで大学で築き上げた信用は、ビッグバンのごとく粉々になってしまうだろう。しかし、体というのは理性とは裏腹な行動を取ることがある。私は完全にそれにはまってしまった。

運転していた友達以外、私も含め男二人、女二人が窓からお尻を出した。私を除く四人は車の中で大はしゃぎ。私は、その美人女性の姿勢を見れば見るほどますますそそられる。泥沼状態に陥ってしまった。五分ほどそのようにしていた。通り過ぎる車の人達、子供達が私達の方を見て、指さして大笑いしていた。

そのうち一人の男が、「寒くなったから止めよう」と言い出した。私はズボンを履ける状態ではないと思い焦り始めたが、ふと前の駒太りの女を見ると、なんとぶざまな恰好か。美人が駒太りの方の窓を上げてやっているのに、窓からお尻を抜くことができない。その恰好ときたら言葉では言い表せないほどおかしく、久し振りに腹が痛くなるほど笑わせて貰った。その笑いのおかげで、私のものは普段と変わらない状態に戻り、笑いの中でズボンを履いた。今思うと、アメリカ人らしいと言えばそれまでだが、面白い経験であった。

自由なセックス観
あんな美人が簡単にあのような行動に出られるというのも、アメリカ人のセックス観が自由だからだと思う。もしかしたら彼女は特別だったのかも知れないが。そうなら、私は大変ラッキーだったとしか言いようがない。この場を借り偶然に感謝しておこう。

もし、あれがもとで大事故になり、警察沙汰になる。そのため日本へ強制送還。マスコミが何らかの情報を手に入れ、「日本人留学生が大学卒業前に強制送還。アメリカで車からお尻を出し、それがもとで大事故に」なんてことになったら、私はは恥ずかしくて日本では生きていけない、とまで考えた。私の親族、身内も笑いものになってしまう。そんなことも考えた。

大学はキリスト教系(ノースウエスト大学)ということで、喫煙や飲酒については厳しかった。私はたばこや酒はやらないから問題はなかった。一つ問題だったのは自慰こうい行為(マスタベーション)である。これに関しての私の経歴を書くつもりはないが、キリスト教ではこれについて否定的である。

バイブルの創世記三十八章に、オナニズムの語源が出ている。この章の物語の主人公オナンという人物が、ふぎ不義を働いたことがオナニズムの語源だ。九行目に「しかしオナンは、その生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないために、兄嫁の所に入ると、地に流していた」と書いてある。「地に流していた」とは誠に文学的表現ではなかろうか。そして十行目に「彼のしたことは主を怒らせたので、主は彼をも殺した」とある。このあたりからオナニズムに対する否定的考えがキリスト教の中に芽生えてきたと言う。

ヌード雑誌を開いて
日本のレストランでアルバイトをしていたから、ブレイボーイやG0R0などヌード写真が多く掲載されている日本の雑誌がたやすく手に入った。約一ヵ月遅れだが、日本の情報を得ることもできた。

ある日のことである。比較的ヌード写真が多く載っているG0R0という雑誌を、机の上に読みっぱなしで開いたままにして学校に出かけた。そして私が授業から帰って来ると、ルームメイトがその雑誌を食い入るように見ていたのである。しかもヌード写真のところを。その時、私はどう対処しようか一瞬迷った。「お前はいつもそういう雑誌については否定的で、俺を批判していたくせに」と攻撃しようか、それとも自然に「読みたいなら読めばいいさ」という態度を取るかという、二つの考えが私の頭をよぎった。結論は二つ目の自然に流す方を取った。彼は私が帰って来たことに気づき、一瞬はっとしたようだが、自然に振る舞おうとしていたからである。
 (つづく・感想文をお寄せ下さい)