勉強も終わり、ベッドに横になりながらその雑誌を見ていると、悪魔が私にささやいた。「クリスチヤンを少しからかってやろう」と。作戦は簡単である。同じように雑誌を机の上に開いたまま置いておき、ルームメイトが雑誌を見るか見ないかを確かめようというものだった。というのも、私が「読みたいならどうぞ」と声をかけたのに、「こういう雑誌にあまり興味がないからいいよ」と、彼が断ったからだ。その彼がどういう行動を取るか興味があった。

翌日、この作戦を実行に移した。しかし彼は戻って来るなり「疲れた」と言ってベッドに横たわり、ラジオをつけ、そのまま眠りこんでしまった。初日の作戦は失敗に終わった。翌日二回目を実行した。戻って来た彼はテキストをベッドに放り投げると、私が仕かけたわな罠である雑誌に目を向けた。私は隣りの部屋でしめしめと思いながら彼の様子をうかがっていた。彼は十分はそのヌード写真を見ていたと思う。自分の国の女性のヌード写真は見たことがあるだろうが、日本人のは初めてだったに違いない。

私は、隣りの部屋から自室に戻ろうとした。しかし今入ったら前と同じように彼をビクッとさせてしまうことを恐れた。見たいなら、と勧めたのに、興味がないと彼が言っただけに、状況は前よりも数倍悪い。入るに入れず迷っていると、たまたまりょうせい寮生がそばを通ったので、大きな声で授業で分からなかった点を質問した。私が部屋に戻って行くことをルームメイトに知らせようとしたわけだ。二分ほど自分の部屋の前でその寮生と話してから、もう大丈夫だろうと思って、普段よりゆっくり、ドアを開けた。彼は寝ていた。つまり寝ている振りをしていた。信仰心である精神面と肉体面との葛藤がそこにはあった。

結婚まで絶対に性交渉を持たないというクリスチャンが多いアメリカで、平気でsexをし、子供を生み、節制がないばかりにエイズで苦しんでいる人が多い。このような現状を考えたら、マスタベーョンをこうてい肯定した方がいいのではないかと思う。宗教を信仰すると、いろいろなせいやく制約を受ける。

アメリカで書いた私の論文の一部だが、キリスト教が世界で一番の宗教になりえたのは教儀の中で、抑圧、苦難、苦労、悲しみなど、人間が持っている感情を克服すれば、より大きな、立派な、すば素晴らしい人間になれるということをうたっているからである。人間が持っている感情のマイナス面を全て試練という、プラスの価値観に転換したことが、多くの人に受け入れられたのではないだろうか。

つまり悪魔という存在も人間を磨くものでしかないので、悪魔をも肯定できるのである。どの世でも苦難や不満は満ちている。幸せや満足感というのは一時的に感じるもので、いつもこのままでいいんだろうか、このままで人生が終わってしまうのではないかなど、何か不安めいたものを感じながら生きている。それを試練として受け入れてしまうわけだ。

ルームメイトが日本のヌード写真に見入っていたこと、それは、彼にとって一つの試練であり、それを乗り越えてこそ、立派なクリスチャンになるということなのだろう。私はクリスチャンではないが、試練を乗り越えることが大切である、という考えはしっかり自分の中に身につけ、今を生きている。

バスク出身者
ところで私の大学での寮生活で、卒業までにルームメイトは四人ほど代わった。アメリカの大学は、大学間での転校が簡単に出来るので、学生の移動が激しい。そんな学生の中に私のルームメイトになったバスク出身の男がいた。名前はダニエル。この名前を聞いただけでクリスチャンであることが分かる。

バスクというのはスペインの北部で、民族性が強く、今だにスペインからの独立を叫んでいる地方である。言葉もバスク語を使っているという。彼からバスクの話をよく聞かされた。できたらスペインから独立し、自分達だけで暮らせたらどんなに素晴らしいことだろう、ということをとくと聞かされた。

ここで歴史という観点から記せば、ヨーロッパというのは多くの民族から成り立っており、あるいは混在しており、それに宗教が加わり、すごく複雑な構成となっている。

われわれ日本人には民族という意識は全くない。日本にはアイヌという民族が北海道に存在しているが、日本人はアイヌの存在はあまり意識していないのではないか。その証拠に、ちょっとした知識人がテレビなどで、日本は単一民族だという発言を平気でするのを聞いたことがある。
 (つづく・感想文をお寄せ