また、授業の流れの中で山がつかめるようになり、授業を受ける際の集中のしかた仕方や、集中しなければならないところが分かるようになった。このような経験を持てたことは、その後の私にとって、とても大きかった。結局、このクラスの最終成績はCプラスではあったが、他のクラスはすべてAを取った。それらのAは、ノート取りを禁じたクラスのお陰だと思っている。

次の学期もこの教授から学ぼうと思っていたが、教授は博士課程の二年生を受け持つことになってしまった。(大学院は五年制からなり、初めの二年が修士課程といい、その後の三年間が博士課程という)。ともかく、成績は悪かったが、成績とは関係ないものを身につけさせて貰ったことは、今でも深く感謝している。

日本のアメリカ文学研究
それと、ある教授の話を紹介したい。その教授は、アメリカ文学研究の実態を調査しに日本に行った。教授は日本でのアメリカ文学研究に、自国にはない何かがあると信じて日本に行った。というのも、戦後日本の復興は奇跡的なものであり、そのような復興をと遂げた国の人間なら、アメリカ文学の研究の分野でも、さぞ素晴らしいものがあるだろう、とかなりの期待を持っていたからだ。東京大学、早稲田大学、慶応大学、上智大学、名古屋大学、京都大学など一流大学を訪問した。だが教授は「何も見つけることができなかった」と嘆き、無駄使いをしたと愚痴をこぼしていた。

教授ががっかりした点というのがふるっている。まず、論文が英語で書かれていないということだった。つまり、ほとんどの論文が日本語だったというわけだ。そして、ごくわずかだが英語で書かれた論文を見つけたが、その内容はアメリカの論文とたいさ大差がなかったという。だから、日本のアメリカ文学研究は、アメリカの猿真似だとまで言った。さらに、日本人のアイデアは発想が乏しく、国民性が出ている論文がない、とつけ加え、最後に「日本は経済だけに夢中の国で、他にとくに見るべきものはなかった」と語った。

私はその教授の発言を聞き、彼が嫌いになった。そしてこんな奴から文学を学ぶのかと思うと吐き気さえもよお催した。そこで私はその教授にアポイントメントを取りつけて会い、教授の発言についての私の反論を述べた。

私の見解はこうである
まず、日本でほとんどの論文が英語ではなく、日本語で書かれているという事実は確かにそうであるが、日本の先生達が国際舞台で発表するときは英語で書くわけだし、それだけの力は持っている。英語が世界で多く使われているからといって、すべて英語中心で物事を考えるのはよくない、と主張した。
これに対し教授は、「アメリカ文学研究なのだから、英語で書くべきではないのかね」と私に問い返した。私はこう返した。「それならアメリカでの日本文学研究は日本語で書かれているか」と。日本の先生は英語をうまく使えないということに対しても、「アメリカで日本文学を研究している学者だって日本語が全くできないじゃないですか」と言い返した。

次に、私が一番引っかかったところであるが、日本のアメリカ文学研究は、アメリカの猿真似だという発言である。これに関して、私とこの教授の見解は全く違った。私は、科学の進歩には目を見はるものがあるが、人間の感情は六千年、七千年経ってもあまり変わっていないと主張した。人が死ねば悲しい、恋人ができれば嬉しい、失恋すれば悲しいなど。このような感情は大昔から変わっておらず、しかも東西問わずであり、アメリカ人だろうが、日本人だろうが、ドイツ人だろうが大差ない感情を持っている、と私は信じている。だから猿真似というのはあたらない、と主張した。

教授は、日本人はアメリカ人とは違った感情を持っているだろうと思い、日本に行った。それが期待外れに終わり、無駄使いをしたと言うわけだが、なぜアメリカ人も日本人も同じような感情を持っている人間だ、ということに思いつかったのか。それを猿真似などとはもってのほかだ、と私は言い返したわけだ。確かに国が違えば常識も違う。しかしそれとは逆に皮膚の色が違っても、同じ文化・習慣を持つ国がある場合も多い。

教授との論争の際私は、文学研究は、結局みんな同じだと証明できる、それが文学だと思っている、とつけ加えた。私は自分の考えには自信があったし、今でも同じである。教授は「そうかも知れませんね」と、私に勝ちを譲るように言い、その話し合いは終わった。これだけ突っ張ってしまった私は、こんな奴には習いたくないと思いつつ、逃げ出すことが卑怯のように思え、この教授の講義を終わりまで受けた。成績はもちろんAであった。 (つづく・感想文をお寄せ下さい