私の親友のドイツ人にも連絡し、すでに同意を得ているということだった。確かに、私が在学中、この大学にも毎学期数人の講師がやって来て教えていた。ヨーロッパに行って、同じようなことをやらないかというのである。いい経験を積むチャンスではあった。予定は二年とのこと。私は、キリスト教のほんば本場、ヨーロッパで勉強できるなどまたとないチャンスだと考え、話を受けることにした。これが私にとって破滅の第一歩になるとは、その時は知るよしもなかった。

ヨーロッパへ
ロンドンのヒスロー空港に到着。日本の大学時代イギリス文学専攻だったこともあり、イギリスにはいつか来たいと思っていた。なぜかヨーロッパは日本からは遠い、という感覚があるだけに、ロンドンタワーやビックベンなどが目の前にあると思うと興奮した。素晴らしい建物であった。神に一歩でも近づきたいがためか、空に向かってとんがっているゴシック様式の建物が多く、人間は信仰心があると、これほどまでの建物を作るのか、と改めてその凄さを見せつけられた。

私が教鞭を取った学校は、ロンドン大学のシィティーユニバーシィティーである。イギリスの大学はいろいろなcollege(カレッジ)から成り立っており、collegeとuniversityとは意味が違うのである。ロンドン大学は確か二十七ぐらいのカレッジからなり、その一つがシィティーユニバーシィティー(ユニバーシィティーと呼ばれているが、実際はカレッジ)である。週三回、夜間、六十分授業を行うことになっていた。

生徒が授業を求める
初日は、自己紹介と生徒の名前を確認するぐらいで終えるつもりでいた。私の自己紹介が十五分ほどで終わり、質問が十分程度、名前の確認が五分程度で終わった。「これで今日は終わりにしよう」と出席簿をとじようとすると、「授業をやって下さい」と言う声が上がった。私がみんなにどうする、と問いかけると、十二人の生徒のうち数人が首を縦に振ってやりたいという仕草をした。

私は「それじゃやろう」と、授業に入ろうとした。すると一人の生徒がまじめな顔つきで「日本人にキリスト教学が理解できるのですか」と尋ねてきた。私は「みんな同じ人間だから理解し合えると信じている」と答えた。すると彼は不満そうに「僕はそうは思わない。確かにある部分では同じ人間だから理解し合えると思うが、多くの部分は違う。先生の意見には同意できない」とまで言った。この日はこのことをみんなで話し合って終わった。

彼の質問の意味は、日本人なんかにキリスト教学が講義できるはずがない、というのである。確かにおかしいことである。分かりやすくいうと、源氏物語や日本の古い文学を外国人が講義しているようなものである。それに彼らは日本の学生と違い、とにかくよく勉強する。日本とは違いイギリスの大学は三年制で、全て専門の勉強をする。日本やアメリカは四年制で、二年間は教養課程中心、後の二年間が専門である。私が受け持ったクラスは一年生でキリスト教学入門というクラスだった。だから、大学で受けた授業のノートを中心に講義すればいいと、甘く考えていた。

二回目から本格的な授業開始。開始二十分で私は自分の甘さを痛感した。彼らは一年生というのに、すでにかなりの実力を持っていたのである。はっきり言って私以上の実力を身につけていた。質問もかなり高度であった。私は英語がイギリス人のように話せないこともあって、かなり困惑した。授業を始める前は、六十分講義なら三時間ぐらいの教材研究で充分だろうと思っていたが、二回目の授業以降、十時間ぐらい準備をしなければならなくなった。授業は週三回だったので、時間はかなりあった。

また、当初、時間に余裕があると思い、イギリス中を旅行しようと計画していたが、無残にもその予定は打ち砕かれた。まだ講義開始三週間目だというのに、私は溺れる寸前の状態でいた。とにかく毎時間の講義内容を原稿用紙二十枚ぐらいに書き込み、スピーチでもするかのように講義をしていた。中には、先生の発音が聞き取りにくいと苦情を言う生徒もいた。

ようするにイギリス人は「アメリカ英語」が気に入らず、私がアメリカ英語だから意地悪して、聞き取りにくいと言ったのだと想像できる。またロンドンには、アメリカ英語がアメリカの歌や映画の影響でたくさん入り込んでおり、とくにねんぱい年配のイギリス人はよく思っていないらしい。英語はイギリス固有のものだと思い込んでいるわけだ。
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