ストラッドフォード
ここは世界で最も有名な劇作家シェイクスピアの生まれ故郷として知られているところである。彼が生まれた家や通った学校、墓などがある。かなり観光地化している。ロンドンからはバスで三時間ぐらいで行ける。ここがシェイクスピアの生まれ故郷でなかったら、観光地にはならなかったろうが、イギリス田園風景を見るだけでも行ってみる価値がある。私はここで一つドジをしてしまった。

この町にエイボン川というのが流れている。夏などはこの川で泳いだり、ボートツアーを楽しむ人でいっぱいだという。
私は足をすべ滑らせ、その川に落ちてしまったのである。その日はそれほど観光客が多くなく注目を浴びることはなかったが、全身ずぶ濡れになってしまった。私は川から上がって、困った、どうしよう、と震えていた。冬だったので、このままでは風邪をひいてしまうと心配になった。

どこかホテルにでも入ってシャワーを浴び、服を乾かさなければと思っていると、六十歳ぐらいの婦人が「私の家で服を乾かしなさい」と声をかけてくれた。ずうずうしくその婦人の言葉に甘えてしまった。その婦人は古い小さな家で一人暮らしをしていた。バスロブを貸してくれ熱いスープを出してくれた。二時間ほど話した。勿論、私が日本人でアメリカに五年滞在して、大学を卒業して大学院にまで通ったこと、さらにイギリスに来た経緯などを全て話した。

あっという間に二時間が過ぎてしまった。服も乾き、着替えをした。「バスの最終時間が後二時間ほどなので、シェイクスピア劇場とホーリートリニティーチャーチを見て帰ります」と告げると、彼女は「もう行くのか」と、寂しげに、もう少しいて欲しいという口振りで言った。私は、そう急ぐこともないと考え、さらに一時間ほど話を続けた。婦人は一人暮らしがもう十年も続いていた。娘が二人いるが、ロンドンとエジンバラ(スコットランド)に嫁いでいってしまったそうだ。そういう話を聞きながら、老後の問題はどこも深刻で同じだと思った。とくに個人主義であればあるほど、老後は一人ぼっちになってしまう。国レベルで考えなくてはならない問題の一つだと思う。その婦人は別れ際、「こんなに長く話ができたのは何年ぶりかしら」とぽつりと言った。その言葉が今でも私の心に残っていて消えない。

この後、急いでシェイクスピア劇場とホーリートリニティーチャーチを見て、最終バスに乗り込んだ。遠かったが、その婦人の家の屋根が見えた。できたら泊まって行けと言われた。もし私が大学の講義で苦しんでなく、自由に旅行していたなら、多分と泊まっていたと思う。もしかしたら、長く滞在していたかも知れない。人生というのはどこでどうなるか分からないからおもしろい。この後ヨーロッパで、もっとアンビリーバブル(信じられない)な出来事に遭遇することになるが、あの婦人が今でも元気でいて欲しいと願わずにはいられない。

ドイツへ
講師の仕事を終えた私は、イギリスとスコットランドを回ってドイツに入った。ドイツには親友がいたので、連絡を取り、彼の家に泊めてもらうことにしていた。彼も講師として行っていたフランスから帰って来たばかりだった。彼も、私と同じ目に遭ったことを知った。私がイギリスで味わった挫折感。私だけではなかったのである。私は少しだけ安心した。
 彼は次にスペインへ行くという。私は、ドイツの大学での講師の話はすでに断ったこと、おふくろの体の具合が悪いので、一時日本に帰ることを話した。彼は、「折角のチャンスなのに残念だな」と言ってくれたが、母親が病気なら仕方がないと納得した。

私はこの後二ヵ月半かけて、ヨーロッパ旅行をした。このヨーロッパ旅行では数々の経験をした。この旅行のことは最後に紹介する。 (つづく・感想文をお寄せ下さい)